スティーブ・ジョブズの訃報に騒ぎすぎの日本人

Steve Jobs氏が亡くなったことに対しては、Rest In Peaceと心から言いたいが、世の中、騒ぎ過ぎだ。

先進諸国でパーソナル・コンピュータを、誰もが買えるごく普通の商品(コモディティー)にしたのは、何もスティーブ・ジョブズだけの功績ではない。
どちらかと言えば、IBMがパソコンのハードウェア設計を標準化し、その上で動作する基本ソフトを、Steve Jobsのアイデアを拝借した「Windows」という名前で開発するMicrosoftという会社を経営した、ビル・ゲイツの功績が大きい。
ビル・ゲイツがいくら金儲け主義だとか、技術オタクで洗練されていないとか、非難されようとも、身も蓋もない事業モデルで、PC/ATという標準的なハードウェア規格のコンピュータを世界中に普及させた功績は、間違いなくビル・ゲイツのものだ。
スティーブ・ジョブズの功績は、そのように何の付加価値もない、ごく普通の商品に堕落してしまったパーソナル・コンピュータに、利用者のライフスタイルを演出するような、全く新しいデザインという付加価値を与えたことにある。
米国で、iTunes Music Storeによる音楽のネットワーク販売が爆発的に普及したのも、Steve Jobsの功績というより、もともと米国では音楽著作物の価格保護規制がゆるかったこと、そして、旧Napsterが明確に違法と判断された後では、権利者とAppleが1曲1ドルという価格でも十分合意できたという、米国特有の音楽市場の事情によるものだ。
日本でiTunes Music Storeにあたる音楽のネットワーク販売が先に立ち上がらなかったのは、ソニーのように、最大の音楽再生機器の製造者のうちの一社が、同時に最大の音楽ソフトの制作者の一つであり、かつ、音楽著作物の価格規制が過剰に厳しかっただけのこと。
ベトナム戦争以降のヒッピー文化と、リバタリアニズム的な資本主義という、米国特有の社会システムがあったからこそ、Steve JobsやBill Gatesのような「才能」が突出できるのである。
歴史上の文化や技術の発展を、やたらと個人名に結びつけて伝説化する英雄主義的な考え方に陥るべきではない。
そういう考え方は、本当に僕らの社会を決定づけている、より大きな仕組み、社会の構造といったものについて、深く考え、分析する観点を奪い、盲目にしてしまう。
MacやiPhoneの利用者が、自分たちのITにかかわる生活スタイルを、クールなものとして誇ることができるのは、単に彼らがWindowsパソコンや普通の携帯電話(現在はAndroidスマートフォン)に対して、少数派だからに過ぎない。
「少数派だから私は個性的なのだ」という主張が成り立つのは、日本やアジアの中流階級のように、もともとが均質的な社会層の中だけである。
日本やアジアの中流層が、Steve Jobsのような人物に、それがどんなものであれ「理想像」を見いだすのは、単なる妄想だろう。