台風の帰宅困難者と福島第一原発事故の共通点

昨日(2011/09/21)、台風が二十数年ぶりに首都圏を直撃した。
僕の勤めている会社は、昼休みが終わって早々に退社指示を出してくれたので、電車が動いているうちに無事帰宅できたが、夕方のニュースを見ると、新宿駅や渋谷駅が「帰宅困難者」であふれていた。
2011/03/11の大震災のときに見たのと全く同じ光景だ。
地震は予測できないし、あれだけ大きな地震なら「帰宅困難者」が主要駅に大量にあふれるのも仕方ない。
しかし、今回の台風は、気象庁が朝のうちから「最大級の警戒」を呼びかけ、夕方には東京がもっとも激しい暴風雨圏内に入ることは予想されていた。
にもかかわらず、大震災の教訓をいかさず、社員を定時まで働かせていた企業は、リスク管理能力がないどころか、「単なるバカ」と言われても仕方ない。
また、電車が止まる時間帯まで働いた結果、深夜まで帰宅できなかったことを、翌朝のオフィスで笑いながら語る会社員も、お気楽バカとしか言いようがない。
このように、本来さまざまなビジネス上のリスク、たとえば取引先の倒産や、特許関連の係争、輸出製品の管理、PR・IR上の風評被害などなどに敏感なはずの会社員でさえ、ほとんどの人が、今回の台風のような災害リスクについて、自分自身についてのリスク管理能力はゼロなのだ。
というより、地震や台風のような大きな災害に対して、事前にあれこれリスクを考慮するよりも、対策をあきらめて流れにまかせるというのが、日本的な発想なのかもしれない。もちろん、こんなものは「リスク管理」と呼べない。
そういう人々に、たとえば福島第一原発事故の20年後の影響を考えて、現時点の原発政策を考えろと言っても、無理な話だ。
また、少子高齢化の進行と社会保障や教育コストの長期的な増加を考えて、現時点で住宅は買うのがいいか借りるのがいいかを考えろと言うのも無理だろう。
これらリスク管理能力の欠如の背景にあるのは、現時点の日本社会の中枢にいる人々が、リスクを考えず、ひたすら前進するだけでよかった、経済成長期の成功体験をいまだに判断基準にしていることだろう。
そしてふつうの国民は、そういう人々に災害もふくめたリスク管理を「おまかせ」して、思考停止におちいっている。「まあ何とかなるだろう」といった感じだ。
そういった日ごろの思考停止は、昨日のような自然災害のとき、主要駅にあふれかえる「帰宅困難者」というかたちで明らかになる。
日本中で原発の運転にかかわっている電力会社の社員のリスク管理能力も、台風が直撃しているのに定時まで仕事をして、駅についてから「電車が止まっている」とあわてふためく会社員と、それほど違わないだろう。
つまり、原発のような、事前に予測不能・計算不能なリスクをかかえている設備を、永続的に運用するには、日本のふつうの会社員のリスク管理能力は、まったくあてにならないと考えたほうがいい。
ある社会の構成員のリスク管理能力が低いことは、その社会にとって最大のリスクである。これは個々の企業にもあてはまる。
ここまで来ると、日本の社会で、日本人どうしが、お互いのリスク管理能力をどのくらいと見積もっていて、どれくらい信頼し合っているかという、「リスク管理能力についてのリスク管理能力」の問題になる。
日本人のリスク管理能力の低さについて、大して危機感をもたない人たち、つまり、ニュースで新宿駅にあふれかえる「帰宅困難者」を見ても危機感をもたない人たちは、「リスク管理能力についてのリスク管理能力」が欠如していることになる。
自分の生活している社会が、実はリスク管理能力が低いことについて、事前に危機感をもってリスク管理ができない人たちは、自分の身近なことについて適切なリスク管理をできるはずがない。
たとえば、「原発を運転している人たちは、きちんとリスク管理をしているだろうから、日本の原発は大きな事故を起こさない」という根拠のない盲信は、社会のリスク管理能力の欠如についてのリスク管理能力の欠如の一例だ。
なぜこうなってしまうのかと言えば、そもそも自分自身が、台風が首都圏を直撃した程度のことで「帰宅困難者」になってしまうくらい、自分のリスク管理能力が低いからである。
昨日の台風で主要駅にあふれかえる「帰宅困難者」と、「人災」としての福島第一原発事故は、一見無関係のように思えるが、実はどちらも、自分の住んでいる社会のリスク管理能力の欠如について、僕らのリスク管理能力が欠如していることの証拠なのだ。
(なお、僕がいま勤めている会社は、当たり前のリスク管理能力があるということになる)