二者択一を迫られる被災者を尻目に神学論争を続ける人々

ドイツのテレビ局ZDFの『Frontal 21』という番組の『福島原発事故、その後…』について、福島中央テレビによる申し立ててYouTubeから削除された件も含め、いまネットでいろいろと話題になっているようだ。
僕自身もツイッターで、低線量内部被ばくについて、ある方と少し議論になった。
その方は「ECRR(欧州放射線リスク委員会)はトンデモ団体で、彼らが低線量内部被ばくについて論じていることは全くあてにならない」というご意見だった。
僕は東大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦氏の意見を今のところ信用しているので、「ICRP(国際放射線防護委員会)の設定したしきい値には、最先端のゲノム科学が全く反映されていないので採用できない」という意見だ。

また、肥田舜太郎氏の実体験にもとづく『内部被曝の脅威』(ちくま新書)を読んで、ABCC(原爆傷害調査委員会)が決して中立ではなく、戦後日本で原子力の平和利用を促進するため、広島・長崎被ばく者の疫学調査のうち、内部被ばくの長期的な影響について必ずしも正確な統計を公表していないという意見も目にしている。
京都大学のいわゆる反体制派の原子力工学の専門家である熊取六人組(小出裕章助教も含む)の一人、今中哲二助教も、ECRRをこき下ろしている。
『第99回 原子力安全問題ゼミ 2004年12月15日 低線量被曝リスク評価に関する話題紹介と問題整理』
この資料の最後の「まとめ」には次のように書かれている。
・ECRRのリスク評価は、『ミソもクソも一緒』になっていて付き合いきれない。
・ECCRに安易に乗っかると、なんでもかんでも「よく分からない内部被曝が原因」となってしまう。
・湾岸戦争でのDU弾使用とその後のバスラ住民の「健康悪化との相関関係」に関するデータはたくさんあるが、「放射線被曝との因果関係」を示唆するデータはほとんどない。
しかし、その今中哲二助教は別の文章、『低線量放射線被曝とその発がんリスク』で、ABCCによる広島・長崎の被ばく生存者を対象とする寿命調査を、「放射線被曝の人体影響に関する比類のないデータとなっている」として、全幅の信頼をおいている。この同じ文章の中でも、今中哲二助教はECRRについては否定的である。
日本において、反体制派の原子力工学社である今中哲二氏が、低線量内部被ばくのリスクについてABCCの疫学調査を支持し、ICRPを批判するECRRに対しては「付き合いきれない」とまで書いている。
一方、東京大学アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授は、ICRPは最先端のゲノム科学を反映しておらず、採用できないとしている。
ICRPが内部被ばくの健康被害リスクを過小評価しているという、結論部分だけを取れば、児玉龍彦教授とECRRは一致している。
2011年7月27日(水)衆議院厚生労働委員会「放射線の健康への影響」参考人説明より 児玉龍彦(参考人)文字起し
以上のように、内部被ばくの健康への影響リスクについては、政治的立場を超えて見解が一致していたりするので、一筋縄ではいかないことだけは明らかだ。
このような問題について、僕が今日ツイッターで議論をふっかけた方のように、科学的に中立の立場が実在するかのように議論をするのは、非倫理的である。その方が僕との議論を終えた後のツイートを引用してみる。
「お前は原発推進派か?反原発派か?」「ECRRを否定するということは、お前はICRPを信頼するんだな?」。なんでそうやって単純な二項対立に当てはめようとするかね。
差し当たり「単純な二項対立」という思考の枠組みを採用せざるをえないのは、じっさいに福島第一原発の周辺の住民が、転居するか、そのまま住み続けるかの二者択一を迫られているからだ。
もしかすると今後、福島第一原発の事故が首尾よく収束しなければ、首都圏の住民も同じように、転居するか、そのまま住み続けるかの二者択一を迫られるかもしれない。
そういうときに、「なんでそうやって単純な二項対立に当てはめようとするかね」というスタンスは、直接の被害にあっていないという特権的な立場からくる、傍観者的で、非倫理的とさえいえる発言である。
現実に二者択一を迫られている住民からすれば、こういった「高みの見物」的な物言いは、許しがたいものであるに違いない。
児玉龍彦教授が、厚労委員会の場をふくめて、ときに感情的になるのは、すでに原発事故が起こってしまっている状況で、このような傍観者的発言や、「単純な二項対立」を排した神学論争をしている場合ではない、ということだろう。
たぶん今、ツイッター上では、内部被ばくの問題について、僕が今日議論をふっかけた方と同じように、なんでも「単純な二項対立に当てはめ」たがるヤツはバカだ、という論調がたくさん見つかると思う。
しかし、すでに原発事故が起こっている状況では、そうした傍観者的物言いをし、自分自身の立場を明言しない人たちこそ、人命を軽視している非倫理的な人たちだと、僕は言いたい。
※2011/09/01追記:
上記の方とのその後の議論はややまどろっこしくなったが、先方の立場をようやく明確に伺うことができたので、追記させて頂く。
また、この方もじっさいには決して第三者的議論をされているわけではなく、ご自身の切実な問題として「倫理的」に考えられていたことを付け加えさせて頂きたい。
この方のお考えは、基本的に反原発でも原発推進でもないが、電力安定供給が損なわれることによる死亡確率の方が、原発事故による死亡確率より高いと判断するので、電力安定供給を最優先と考える、とのことだった。
死亡確率についてそのようにお考えの理由は、一度に100mSv以下の被曝によって健康に影響が出たという疫学データが存在しないから、とのことだ。これはこれで一つの考え方だと思う。
つまり、この方のお考えでは、長期間におよぶ累計の被ばく量、および、外部被ばくと内部被ばくの健康への影響の違いについて、信頼できる疫学データは存在しないということのようだ。
ただ、僕から見ればこれは一つの立派な「原発推進」という政治的立場である。
外部被ばくについてしきい値を設定しているICRPと、この方の考え方は基本的に同じであり、功利主義的なコスト・ベネフィット計算が背景にある。
ICRPが過去数十年にわたって、しきい値を少しずつ上げてきているのも、原子力発電所の運転を続けるための費用対効果を計算しているからこそだ。それ以外に、ICRPがしきい値を少しずつ上げてきた経緯を正当化する理由はない。
僕個人の意見では、この方には申し訳ないが、ICRPの功利主義的立場を、反原発でも原発推進でもない中立的立場と断言することはできない。れっきとした原発推進派である。
以上、追記させて頂いた。