『魔法少女まどか☆マギカ』(2):契約概念について

アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』について、前回は物語レベルの破綻についてまず指摘した。
「『魔法少女まどか☆マギカ』(1):まずは物語レベルの破綻について」
今回は同じく物語レベルについて、『まどか☆マギカ』の特徴と思われる点を論じてみたい。
まず契約について。『まどか☆マギカ』で主人公の少女が魔法を使う魔法少女になるには、「きゅうベェ」という地球外生物と契約を結ぶ必要がある。
本作に登場する魔法少女たちは、生まれつき特殊能力を持っているわけでもなく、ある日突然、特殊能力に目覚めるわけでもない。
また、契約相手である「きゅうベェ」は、契約を結ぶかどうかについて、本人の自由意志をほぼ完全に尊重する。
本人の自由意志によって、口頭の契約さえ結べば、魔法という特殊能力が手に入るという点で、言ってみれば身も蓋もないドライな設定になっている。
ただしこの契約の最大の特徴は、解約できないという点にある。いったん魔法少女になってしまうと元にもどることはできない。
その不可逆性を埋め合わせるために、この契約を結ぶときに「特典」として、契約者の望みが一つだけかなうという交換条件がついている。
普通に考えれば、魔法という特殊能力を手に入れられるなら、契約者はそれと引き換えに、逆に自分の何かを犠牲にしてもおかしくないが、そうなっていないのは、この契約が不可逆だからだ。
現実に存在する契約は、一定の手続きをふめば解約できる。解約できない契約というのは、厳密に言えばもはや契約と呼ぶことはできない。契約は自由意志が前提だが、解約できない契約を結ぶことで、契約行為の前提となる自由意志を手放すことになるからだ。
ところで、『魔法少女まどか☆マギカ』における契約が不可逆なのは、契約を結んで魔法少女になると、物質としての身体から、身体を動かす動因としての心を抜き取られてしまうためだ。(ここでは素朴な心身二元論が暗黙の前提となっている)
それによって身体を動かす動因としての心は、身体の物理的な制約を受けることなく、その能力を全開にすることができる。その全開の状態が「魔法」と呼ばれているだけのことだ。

それによって魔法少女は身体的な死から解放されるとともに、自己同一性の喪失という別の死を不可避のものとして受け入れざるをえなくなる。
自己同一性の喪失という別の死とは、どういうことか。
魔法少女になる契約を結ぶと、上述のように身体的な死を永遠に免除されると同時に、魔女との戦いを永遠に強制される。そして魔女との戦いにおいて、魔法少女はつねに「死ぬ」危険ととなり合わせになる。
魔法少女が魔女との戦いに敗れて「死」ぬということは、魔女に捕食され、魔女と一体になることを意味する。一人の魔法少女としての自己同一性を失い、より大きな魔女という存在を構成する一部分になることを意味する。
ところで、魔女が魔法少女ではない人間を捕食するとどうなるかと言えば、その人間は物理的条件を基礎とする「死」と同時に、自己同一性の喪失である「死」を迎える。
ある少女が、いったん契約を結んで魔法少女になると、最終的に魔女に捕食され、魔女の一部分となるまで、魔女と戦い続けなければいけないことになる。
逆説的だが、少女が魔法少女になる契約は、いつか魔女との戦いに敗れて捕食され、不可避的に魔女になる運命を選択する契約でもある。つまり少女が魔法少女になる契約は、魔女になる契約でもある。
また、魔法少女は魔女との戦いの過程で、定期的に自己の心を浄化しなければ、少しずつ心が汚染され、ある時点で魔女に変わってしまう。(どのように浄化するか、その手続きの詳細は省略する)
心の浄化という比喩的な表現を、説明的に言い換えると、自分が魔法少女になった動機の正当性、一貫性を、自分自身で確認することである。
仮に自分が魔法少女になった動機に、自分で疑いを抱くようになると、魔法少女になる前の自分と、なった後の自分とで、魔法少女という役割についての動機づけが不一致を起こす。
動機づけが一致している限り、魔女と戦うという行為を、自己の動機づけの一貫性を証明するための、単なる手段と見なせる。魔法少女としての動機づけの一貫性の証明・確認が目的であり、魔女との戦いは単なる手段となる。
ところが動機づけの不一致を起こすと、魔女と戦う行為が自己目的化する。魔女と戦えば戦うほど、その行為が無目的なものであることがはっきりしてくる。
動機づけの一貫性の確認という目的がある限り、魔法少女は自己同一性を失わないという意志のもと、魔女と戦い続けることができるが、その目的がなくなると、自己同一性を失わないという意志の根拠がなくなる。
魔法少女が自己同一性の喪失を受け入れるということは、つまり、魔女に捕食されるのと同じことになる。
つまり魔法少女が魔女になる経路は2パターンあり、一つは、魔女との戦いに敗れて捕食され、自己同一性を失って魔女の一部分になるパターン。もう一つは、自己同一性の維持という動機づけを失って、自ら魔女になるパターンである。
ここまで考えてくると、魔法少女になる契約をするということが、それ以降は一定の動機づけという不自由の枠内で生き続け、その動機づけを自分が自分であることの根拠と見なすようコミットすることだと分かる。
何にでもなりうる自由をあえて捨てて、一定の動機づけの枠内で今後は生き続けることを、自らの意志で選択すること。それが魔法少女になるという契約の意味といえる。
すると、魔法少女になる契約は、社会における通過儀礼の比喩であることがわかる。
例えば自分の職業を決めるとき、実質的にやり直しのきかない年齢になった後では、その職業選択は、何にでもなりうる自由をあえて捨てて、一定の仕事の枠内で生き続けることの選択に他ならない。
魔女に捕食される、あるいは魔女になるというのは、そうした社会的な約束事を前提とする通過儀礼からの逸脱である。
社会はある時点で、何にでもなりうる自由を捨てることを個人に要請しているのに、あえてその要請が存在しないかのように振る舞うこと。それが「魔女になる」ということで、比喩的に言われていることだ。
このように見てくると、『魔法少女まどか☆マギカ』の物語の根本的な構造には、意外に常識的な、社会における人間の成長過程が埋めこまれていることがわかる。