パロマ工業社長が有罪で、東京電力社長が無事退職の不条理

パロマ工業の湯沸かし器事故で、東京地裁が元社長と元品質管理部長に有罪判決を下したことをご記憶だろうか。
『パロマ工業元社長に有罪 「不正改造、放置」 湯沸かし器事故で東京地裁判決』(2010/08/06 朝日新聞)
民事訴訟で賠償請求されたのではなく、業務上過失致死傷罪の刑事事件でトップが裁かれたのだ。
ただ、当時もパロマ工業の元社長に刑事責任まで問うのは、やや行き過ぎではないか、という意見はあったようだ。
というのは、パロマ工業と修理業者には全く資本関係がなかった。修理業者がたまたまパロマ工業の製品をあつかっていた、というだけの関係だ。
さらに、修理業者がガスを自動的に止める安全装置をバイパスする不正改造をしたきっかけにも、議論の余地がある。
湯沸かし器が古くなり、火がつきにくくなったため、安全装置が「正常に」機能してお湯が出なくなった。にもかかわらず、それを使っていた消費者が故障だと勘違いして、修理業者を呼んだところから始まっている。
そして呼ばれた修理業者が応急処置として、安全装置をバイパスし、お湯が出るようにした。これを「不正」改造と言えるのか。仮に「不正」改造だとしても、そのように改造できる作りになっていたことが、パロマ工業の刑事責任にまでなるのか。
例えば、原付バイクのリミッターを切って、制限速度オーバーで交通事故が起きた、という例はいくらでもあると思うのだが、バイクメーカーの社長が刑事責任を問われた話は聞いたことがない。
執行猶予付きではあるが、有罪の求刑をうけたパロマ工業の元社長と元品質管理部長は、控訴することもできた。だが、企業イメージの悪化を避けるために、あえて控訴せず、有罪判決をのんだという。
ところで、なぜこのパロマ工業の事件を思い出したのかといえば、もちろん東京電力との比較だ。
東京電力は地震発生の数日後には、福島第一原子力発電所の圧力容器内で、核燃料が溶融している可能性を認識し、それによって水素爆発など、より大きな事故を予想できる状態にあった。
しかしその事故を避けるための情報開示をせず、結果として福島県だけでなく、他府県のさまざまな事業者の業務を妨害した。
これだけで、東京電力の経営陣に対して、偽計業務妨害罪の刑事責任を十分に問うことができる。
なのに、パロマ工業の一酸化炭素中毒事故のときは、よってたかってパロマ工業を非難し、同社の経営者を前科者にまで仕立て上げたマスコミが、なぜ今回の福島第一原発の事故では、東京電力の経営陣を偽計業務妨害罪にさえ問わないのか。
偽計業務妨害罪といえば、京都大学などで携帯電話を使ってヤフー!質問箱に試験問題を送信した、あの学生くんと同じ、言ってみればとても軽い罪だ。
マスコミの、パロマ工業の事故の扱いと、東京電力の事故の扱いには、明らかに差がありすぎる。
しかも最近では、マスコミは原発事故がもっぱら民主党政府の責任であるかのように喧伝しはじめ、いつの間にか東京電力を非難するトーンは落ちつつある。
とくに産経新聞は、政府の失策のために、東京電力だけでなく、各電力会社が定期点検の完了した原子力発電所を再稼動できず、日本の製造業全体が業務を妨害されている、と言わんばかりの調子で、非難の矛先を政府にばかり向けている。例えば次の記事のように。
『菅首相の「脱原発」宣言 企業活動、国民生活への影響無視』(2011/07/13 22:55 MSN産経ニュース)
たぶんマスコミの政府への非難は、菅首相が退陣するまで強くなりつづけ、東京電力への非難はだんだんと弱まっていくだろう。

まさに元のもくあみ。東京電力の経営状況は悪化しても、その他の電力会社は、各地のマスコミにとって大手スポンサーであることに違いない。この点がパロマ工業と電力会社の最大の違いだ。
コンプライアンスとは単に法律を守ればいいというだけではなく、企業が社会に対する責任(CSR:Company Social Responsibility)を果たすことも含む、という考え方がある。
しかしその「社会」が、特定の企業に有利な情報を流し、かつ、多くの国民がそれを信用してしまうような「社会」なら、そもそも企業の社会的責任などに意味があるだろうか。そこに正義はあるだろうか。
そう考えると、僕らはとっても理不尽な社会に住んでいるなぁと、実感せざるを得ない。