宮台真司×飯田哲也『原発社会からの離脱』を読んだ

宮台真司×飯田哲也『原発社会からの離脱 自然エネルギーと共同体自治に向けて』(講談社現代新書)を読んだ。

僕にとっては、最近、宮台真司がビデオニュース・ドットコムのニュース・コメンタリーなどでくり返し話している、おなじみの議論ばかりだったので、正直言って、わざわざ購入して読むまでもなかったかな、という感想だった。
むしろ飯田哲也氏の書いた本を読むべきだと思った。どうやら近日中に、【改訂増補版】北欧のエネルギーデモクラシーという単行本が発売されるらしい。でも2,625円はちょっと高い…。
時間があれば、こちらの洋泉社の新書『日本版グリーン革命で経済・雇用を立て直す』でも読んでみたい。

ただ、『原発社会からの離脱』の宮台真司と飯田哲也両氏の議論を読んで感じたのは、こりゃとても今の日本の社会じゃ、そう簡単に実現しそうにないなぁ~ということだ。
いつも思うのだが、宮台真司の日本社会批判は、あまりに根本的、あまりにラディカル過ぎて、とても宮台氏がこうあるべきという姿になりそうにない。
たぶん宮台氏自身は、実現可能なやり方については、十分具体的に提示しているはずだとおっしゃるだろう。
しかし、ごく一般的な上場企業でIT系の仕事の平社員をやっている僕が、身近にいるごく一般的な日本人を観察するにつけ、まずこういった人たちが、宮台真司氏の言うようなラディカルな改革を推進する政治家にシンパシーを感じるはずがないと思うのだ。
本のタイトルにもあるように、電力会社の地域独占をなくすには、ふつうの日本人が、何でも国まかせの姿勢から、地域共同体のエネルギー政策は自分たちが決めるぞ、くらいの勢いの自治へと、姿勢を変える必要がある。
しかし、僕の周りにいる人たちは、仕事大好きで、土日出勤もいとわない。
地域共同体のことよりも、会社組織の中でいかに出世するかがはるかに大事。そうしてより多くの収入を得て、子どもの教育や、自分たちの老後に備えることに精一杯だ。
ふつうのサラリーマン(あえて男性を意味する単語を使う)にとって、いちばん大事なのは生活だ。
生活に追われ、毎回のボーナスの増減に一喜一憂するサラリーマンが、地域共同体のエネルギー政策の自治に、時間と知恵をしぼるような余裕はない。自分の生活以外に、地域のことにかまけている余裕などない。
宮台真司のように、日本社会の新しい設計図を考えること自体が、仕事みたいな人はいいのだろう。
しかし、ふつうのサラリーマンが地域のことを考える余裕を得るためには、まず日本企業が有給休暇をまともに消化できるような会社になり、サービス残業もなくなり、付き合い残業もなくなり、仕事が終わっても同僚どうしでつるんで飲みに行くような習慣がなくなり(以下略)、という物理的な環境が整う必要がある。
ところが、こうした物理的な時間の余裕を産み出すこと自体が、なんでも国まかせの国民性と表裏一体になっているので、表と裏のどちらから引き剥がすか、ニワトリとたまごのどちらが先か、となり、問題解決の方法が自己循環してしまう。
なので、宮台真司氏の議論は読んでいる途中は気分爽快なのだが、読み終わったあとは、現実をふりかえって、ひどく虚しい気分になる。
とはいえ、まだ宮台真司の最近の議論を読んだことがない方は、コンパクトにまとまっていて、かつ、原発問題に対する根本的な批判があるという点で、本書はとても参考になるので、ぜひご一読を。