『魔法少女まどか☆マギカ』(1):まずは物語レベルの破綻について

アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』を全12話観た感想を、今後しばらくポツポツと書こうと思う。
もともと宮台真司や東浩紀が、Twitterやニコニコ生放送でことあるごとに話題にするので、どうしても気になって観た次第だ。
いい年して魔法少女モノのロリアニメなんか観てるんじゃないよ、と思われる方は、まぁだまされたと思って4話までガマンして観ることだ。
さて、いきなりベタぼめしても面白くも何ともないので、まずは観終わった直後として、身も蓋もない物語レベルの矛盾の指摘から始めたい。
その他、今後書く予定のテーマは、物語内容については「登場人物が意外に倫理的」「男性の不在」「善悪二元論」。
表現形式については、正直、最近のアニメをまったく観ていないので自信はないけれど、「二次元の多様性(パースペクティヴ)」「カットバックの時間の循環」などについて書く予定だ。
当然のこととして、以下、ネタバレ満載なので、観る前に物語の内容で重要な部分を知りたくない方は読まないように。
それから『魔法少女まどか☆マギカ』みたいなヲタクの観るアニメに全く関心がない方は、以下の文章を読むと単に気持ち悪いだけなので、読まないように(笑)。
物語内容レベルについての身も蓋もない矛盾というのは、第10話で明らかになる暁美(あけみ)ほむらと、鹿目(かなめ)まどかの関係についてだ。
暁美ほむらが、インキュベーターのキュゥべぇと契約して魔法少女になるのは、鹿目まどかとの出会いをやり直したいという願いと引き換えに、である。
その結果、暁美ほむらは鹿目まどかと出会ってから1か月ほどの時間を、何度も何度もやり直す能力を手に入れる。
観察者であるキュゥべぇは、もし鹿目まどかが魔法少女になれば、他の魔法少女と比較にならないほどの能力を持ち、最強の敵(魔女)さえ一撃で倒すだろうが、その理由は、暁美ほむらが鹿目まどかと出会った後の1か月ほどの時間を、何度も何度もやり直すことで、複数の並行世界の因果が鹿目まどかを中心に結節するようになったからだと分析する。

ところが、この時点ですでにおかしい。
暁美ほむらが一定の時間を、何度もやり直し、複数の並行世界を生きるということ自体が、積もり積もって、鹿目まどかの強大な能力に帰結するというのは、おかしい。
同じことをもう少しシンプルに書き直すと、少女A(暁美ほむら)が少女K(鹿目まどか)と出会って、1か月の時間が過ぎることで、いくつかの事実が、原因、結果、原因、結果というふうに一つの時間軸上でつながっていく。
その結果として、ある並行世界では、少女Aの命を守るために少女Kが死んでしまったり、別の並行世界では、少女Kが少女Aの命を守るために死んでしまったり(厳密には死んだわけではないが)、複数の異なる結果が生まれる。
それらの並行世界は、どれもが等しく起こりうる可能な世界として、完全に並列に存在しているはずなのに、暁美ほむらは、世界1の次に世界2、その次に世界3、その次に世界4と、同一の時間の並行する世界を生きるにつれて、その一つ一つの世界を生きた経験が、原因、結果、原因、結果というつながりになって、最終的に第12話のように、鹿目まどかが魔法少女になる決意をしてしまう、という結果を生み出す。
本当に暁美ほむらが、鹿目まどかと出会ってからの1か月を、何度でも自由にやり直す能力を手に入れたのだとしたら、そのやり直す行為に時間的前後関係があるというのは、時間の上のレベルに、もう一つの「時間」と呼ぶべき因果関係の連鎖があると考える必要がある。
さもないと、暁美ほむらは何度もやり直して、段々と学習する必要などなく、たくさんの並行世界のうち、最初から鹿目まどかが魔法少女になる世界を選択して、それを生きれば良かっただけのことだからだ。
このアニメの物語が、暁美ほむらにそうすることを許していないということは、個々の並行世界の中で流れ、その世界の中にいる人々を「教養小説」的に成長させる時間とは別に、一つ上のレベルに「時間」(以下「メタ時間」と呼ぶ)が存在して、暁美ほむらは魔法少女になることでその「メタ時間」を生きる能力を手に入れたことになる。
ならば、なぜ暁美ほむらは「一つ」上のレベルの「メタ時間」を生きる能力までしか手に入れられなかったのか。「メタ時間」のそのまた「メタ時間」を生きる能力を手に入れることができなかったのか。この点がおかしいのだ。
実際に最終話で、暁美ほむらは、鹿目まどかが魔法少女になった世界の時間を、暁美ほむらが生きている「メタ時間」の観点から観察できている。
しかもそれを観察した後、鹿目まどかが魔法少女になった「結果」として、世界全体のルールが塗り替えられてしまった、全く新しい世界の時間を生きている。鹿目まどかが残したピンク色のリボンを持って。
このことは、暁美ほむらが、「メタ時間」と、複数の並行世界のそれぞれに流れる複数の時間の間を、自由に移動する能力を、魔法少女として手に入れていることを示している。
ところで、「メタ時間」と、その一つ下のレベルにある複数の時間の違いを認識できるということは、暁美ほむらは、「メタ時間」のさらに一つ上のレベルにもまた別の事実の因果関係の連鎖としての「メタメタ時間」があり、さらにその上にも「メタメタメタ時間」があることを認識できるはずだ。
さもないと、暁美ほむらは、自分がいま、時間を生きているのか、「メタ時間」を生きているのか、区別ができなくなるからだ。
暁美ほむらが時間と「メタ時間」の二つのレベルをはっきり区別して認識し、行き来でき、最新の注意を払って「メタメタ時間」には行かないようにできるということは、「メタメタ時間」や「メタメタメタ時間」や「メタメタ…(以下無限に続く)時間」を識別できなければおかしい。
しかし、暁美ほむらが「メタ時間」をも観察できるのだとすれば、「メタ時間」の中で暁美ほむら自身が段々と成長する、以前知らなかったことを知るようになる、という教養小説的な物語展開は明らかにおかしい。
なぜなら暁美ほむらは、「メタ時間」の中で成長していく自分が最後にどうなるか、そして鹿目まどかが、その下位のレベルの時間の中で成長して最後にどうなるか(第12話の内容)を、つねにすでに知っていたはずだからだ。
できるだけ分かりやすく説明したつもりなので、分かって頂いたと思うが、物語内部の約束事が物語そのものの約束事を破壊しているので、第10話で明かされる暁美ほむらと鹿目まどかの関係性のエピソードは、実は超が5個つくぐらいのご都合主義なのである。
この物語レベルの破綻と、最終的に鹿目まどかが「遍在」、オムニプレザントな存在になることが、同じ物語の中で並立してしまうのもおかしい。
また、第12話で、魔法少女の存在理由である魔女の存在をなくしてほしいという願いと引き換えに魔法少女になるという、自己言及的な鹿目まどかが、なぜか無数の並行世界の時間を遡って(なぜ未来の方向へも飛ばないのだろうか)、「過去」の魔法少女たちを救済し、最終的には「一つ」の地球を救う(なぜ「一つ」なのだろうか)という結末も、完全におかしい。
まして、世界のルールが書き換えられた後の世界が「一つ」に収束しているというのも、おかしい。
以上のように、『魔法少女まどか☆マギカ』は、かなりもっともらしく整合的に組み立てられたかのような外見をしているけれど、仕掛けがやや込み入っているだけで、日本の歴代の魔法少女モノと同じように、物語のレベルでは完全にご都合主義的に出来上がっている。
もちろん、だからといってこの作品の評価が下がるわけではない。最初にこのことを書いておきたかったのは、『魔法少女まどか☆マギカ』というこの作品も、ある種、魔法少女モノのご都合主義という伝統をしっかりと踏襲した作品であり、その踏襲というか、反復によってこそ、魔法少女モノの現時点での一つの「頂点」たりえているという、当たり前のことをまず示しておきたかったからだ。