シャイだけど有能な90年代生まれの中国人

以前から書いているように、1年以上前から中国の検索エンジン「百度」の掲示板で、エイベックス所属の女性歌手alanの中国のファンたちと交流している。
その掲示板から派生して、中国ツイッター(新浪微博)でも、微妙にオタク率の高い中国大陸のalanファンと、ツイートのやりとりが始まり、すでに中国ツイッターを開くことは僕の日常になっている。
さらに、その百度のalanファン掲示板の管理人をつとめている大学生くんが、今春から日本へ語学留学に来ている。そのまま日本の大学への進学を目指して、目下、日本語の勉強中だ。
彼が来日したばかりのとき、彼の住む町から渋谷まで案内してあげたり、つい昨日も渋谷でのalanのイベントで顔を合わせたりしている。
こちらの中国語のヒアリング力はまだ不十分なので、もっぱら彼の日本語力にたよって、日本語で会話している。
また、同じく「百度」の掲示板でも中国ツイッターでも交流のある、別の熱心なalanファン(男性会社員でCADオペレーターの仕事をしているらしい)がいる。
その従妹さんと大学の同級生が、最近、留学先のカナダから、たまたま日本へ旅行しに来る機会があり、秋葉原で会うことになった。
そんなふうにして、遠かったはずの中国大陸のalanファンとのインターネット上での交流が、実際の顔と顔をつき合わせての交流につながったりしている。
その従妹さんと同級生は、二人ともAKB48と日本アニメの大ファンらしい。
従妹さんは『鋼の錬金術師』がいちばんのお気に入り。彼女の中国ツイッターのアイコンも『鋼の錬金術師』のデフォルメ・キャラクターになっている。
alanファン掲示板の管理人の留学生君も、同年代で、alanの他に西野カナの大ファンでもある。J-POP好きが高じて、この東日本大震災の中、あえて日本への留学を決意したというわけだ。
僕にとって、彼らとおしゃべりするのが楽しいのは、一つには、僕がある程度、中国語の能力があること、それから、僕が40代という年齢相応の成熟を拒否し、いつまでも学生的なメンタリティを維持していることもある(悪く言えば無責任ということ?)。
つまり、サラリーマン社会に適応している普通の40代なら、話題にできることと言えば、自分の家族のことや、とくに子どもについての「親バカ」的な話題、野球、サッカー、ゴルフといったスポーツの話題などだろう。
幸か不幸か、僕はそうしたことにほとんど興味がなく、そんなことを話すくらいなら今人気のJ-POPアーティストや、あまり詳しくはないけれども、アニメについて話すほうが楽しい。
ただ、そんな僕の側の事情よりも重要なのは、彼ら彼女らのメンタリティや行動様式の方が「日本的」になっていることだろう。
彼らは、いざという時の行動力はあるけれども、とてもシャイで謙虚な人たちだ。あまりガツガツと自分の意見を主張したり、質問してきたりということはない。
これは、僕が10年ほど前、某自動車会社にいた、当時20代後半のシステムエンジニアの中国人男性からうけた印象と、劇的に変わっている。
その中国人男性社員は、世代的にはおそらく70年代生まれ。上述のalanファンの従妹さんとその友達や、alan掲示板の管理人の留学生君は、90年代生まれになる。
たとえば70年代後半生まれの中国人SE氏は、昼食をすませて、オフィスにもどるエレベーター内で、シーシーと音を立てながら爪楊枝を使っていた。
おそらく当時の日本人の中国人に対するイメージとしては、しっくりくる行動様式だ。
一方、90年代生まれの3人は、いずれもJ-POPや日本アニメのファンということもあるのだろうが、きわめてシャイな人たちである。
しかも頭の良さという点では、おそらく遊び呆けている日本の大学生よりは、はるかに優秀に違いない。何しろ、すでに母国語の他に英語や日本語を、日常会話に不自由ないほど習得し、かつ、カナダや日本で実際に生活しているのだから。
無難な社交的能力をもち、かつ、知的水準の高い90年代生まれの彼らを見ていると、いまだに中国人のやや古いイメージ、自己主張が強く、お行儀が悪いというイメージを捨てられないでいる、僕と同年代以上の日本人は、中国の未来を見誤ると思う。
彼らは、少なくとも自分が好きな異文化の社会への適応能力が高く、努力もするので、国際的な活躍という面では、同世代の日本人よりはるかにアドバンテージがあるような気がするのだ。
いまだに中国人を、自分たち日本人よりちょっと下に見ている日本のおじさんたちは、考え方を変えたほうがよさそうだ。