「古い」フェミニストとセックスワーカー

一昨日、ニコニコ生放送で興味深い番組を放送していた。
『ニコ生ノンフィクション論「風俗街が消えた!?」』~沖縄で一つの街が「消えた」/浄化運動という名の暴力とは?―藤井誠二、要友紀子、松沢呉一
先日、この「愛と苦悩の日記」で、『藤波心さんを理想化するトホホな大人たち』(2011/06/19)という記事を書いた。
その中で、もしもアグネス・チャンが「脱原発のジャンヌ・ダルク」藤波心さんと、アグネスは児童ポルノすれすれのDVDに出演している藤波心さんと、脱原発で共闘できるだろうか、という思考実験をしたばかりで、タイミングがよかった。
ここ数年、フェミニズムのことを全く考えずに生活していたが、最近のフェミニストは、とくにセックスワーカー(風俗産業で働いている女性)について、世代間で意見が割れているらしい。
僕は高校時代にボーヴォワールの『第二の性』を読んでから、大学時代にかけてフェミニズムに入れ込んでいた。でもあるとき限界を感じて、フェミニズムの思想や運動に参加することをやめた。
その理由は、一人の男性として、自分のセクシャリティがあまりに凡庸すぎて、フェミニストとは共闘できないと思ったからだ。
わかりやすく言えば、一方でアダルトビデオを見てマスターベーションしつつ、もう一方でフェミニズムなんて、偽善もはなはだしい、ということだ。

ただし性差別主義を開き直るようになったわけではなく、フェミニズムの問題意識は今でも適切だと考えるし、性的マイノリティーにも理解があるつもりだ。
一昨日のニコ生の上述の放送には、要友紀子という30代の東京大学の研究員でフェミニズム運動家が出演し、セックスワーカーが労働者として連帯できないか、ということについて、関西弁でしゃべっていた。
もともとは、日本各地の地方自治体が、街の風紀を正すために、最近つぎつぎと風俗街をつぶしている、というところから議論は始まっている。
その背後にあるのは、もちろん住民たちの声だが、それらの声を支えているのが、キリスト教系の矯風会の流れをくむ「古い」フェミニズム団体で、アグネス・チャンもその一人ということになる。
「古い」フェミニストたちの性愛についての考え方は、次のようなものだろう。
・風俗産業は「性の商品化」であり、なくすべきものだ。
・風俗産業は卑しい職業だ。
・セックスは本当に愛し合っている者どうしがするものだ。
・婚外交渉も許されない。
・風俗産業で働く女性たちは、かわいそうな被害者だ。
・両性の平等が実現すれば、風俗産業はなくなる。  …などなど
しかし「新しい」フェミニストたちの、セックスワーカーについての考え方は、こうした誰もが想像するような、典型的なフェミニストの考え方とかなり違うようだ。
「新しい」フェミニストたちは、むしろ、セックスワーカーの労働者としての安全の確保や生活環境の改善のために、風俗産業の合法化を求めている。そのお手本になっているのは、ヨーロッパでは実際に売春が合法化される方向にあることだ。
なぜ売春を禁止し、風俗街を一斉摘発で破壊することで、かえってセックスワーカーが危険にさらされるのか。それは次のような理屈になる。
・今まで日本で主な業態だった店舗型の風俗業では、仮にセックスワーカーが客に危害を加えられそうになっても、店員にすぐ助けを求められる点で安全だった。
・今は破壊された京都のとある風俗街は、昔から伝統芸能とつながりがあり、それによってそこで働くセックスワーカーの生活水準や安全が保たれていた。
・しかし、地元住民の反対運動による、風俗街の一斉摘発により、店舗型の営業が困難になり、無店舗型のいわゆるデリバリー・ヘルスがここ数年急増した。
・セックスワーカーは比較的安全だった店舗内の労働から、お客の自宅やホテルなど、何かあっても助けを求められない場所での労働が中心になった。
・また、一斉摘発による風俗産業への非難が、「セックスワーカーが犯罪にあっても自業自得だ」という意見を強化する方向に働いた。
・その結果、風俗産業はアングラ化し、セックスワーカーはより危険な環境に置かれることになった。
このあたりの展開は、サラ金の総量規制とよく似ている。
サラ金は悪だ!ということで総量規制すると、債務者はヤミ金に走り、世間からは「どうせギャンブルにつぎこんだんだろう」など、自業自得と非難され、過酷な取立てにあっても泣き寝入りするしかなくなる。
風俗産業は悪だ!ということで一斉摘発して風俗街をなくすと、セックスワーカーはより危険な条件で働かざるを得なくなり、世間からは自業自得と非難され、お客による犯罪被害にあっても泣き寝入りするしかなくなる。
さらに、「古い」フェミニストたちは、売る側だけではなく、買う側も処罰する法律を成立させようと活動を続けているらしい。
こうなると状況はさらに悪化する。
セックスワーカーの側も、お客の側も、風俗で犯罪被害に巻きこまれたとしても、届け出た瞬間に売買春で逆に逮捕されることになるため、ともに泣き寝入りするしかなくなる。すると、風俗産業全体がアングラ化する。
たぶん「古い」フェミニストは、そうやって社会の表面から風俗産業のような、「非道徳的」な産業が消えてなくなれば満足だろう。
しかしこれでは、セックスワーカーという一部の労働者を切り捨てることで、残りの社会の「健全性」を救っただけになる。
もっと言えば、セックスワーカーというマイノリティーを社会から排除することで、自分たちの生活する社会を救ったということになる。
これは果たしてフェミニズムの本義にかなう社会運動だろうか。
まぁ、日本という国では、風俗の問題にしても、児童ポルノの問題にしても、「古い」フェミニズムの意見が世間の支持を得やすいという事実は否めない。いかがわしいもの、不健全なものは、すべて違法にして、一斉に摘発し、社会から駆逐してしまえばよい、という意見だ。
かく言う僕も、職業に貴賎なしと思いつつ、自分は遊戯機器メーカーや消費者金融で働くのはイヤだし、公営ギャンブルやパチンコに入り浸る人間に、ろくな人間はいない、なんてことも思ったりする。
たぶんこれも、サンデル教授のおかげで一躍有名になった「正義論」の文脈で議論すべき問題なのかもしれない。
リバタリアンの立場からすれば、売春の合法化なんて当然のことで、そうすることでセックスワーカーが労働組合を作り、身の安全ばかりか、労働環境の改善も要求できる、という論の展開になる。
他方、コミュニタリアンの立場からすると、風俗街の問題はどうなるのだろう。
自分の身内が、給料がいいからと言って風俗産業に就職することがイヤだという理由で、少なくとも自分のコミュニティから風俗産業を排除することを正当化できるだろうか。
また、売春を合法化している欧州諸国と、女性に公衆の場で髪の毛を見せることを禁じるイスラム教国は、どちらがより「正義」にかなった社会なのだろう。
考えれば考えるほど、分からなくなってくる。うむむ。