「too shy」では許されないサラリーマン

どこの会社に転職しても、成果主義的な人事評価システムがある。
違う会社であっても、上長から評価をうけるたびに、僕が言われることはだいたい決まっている。個人としての能力は非常に高いが、「コミュニケーション能力」が不足しているということ。
「コミュニケーション能力の不足」というと少し大げさで、以前のドイツ人上司の表現が、僕としてはいちばんしっくりきている。つまり「too shy」ということだ。「恥ずかしがり屋すぎる」「人見知りすぎる」といったニュアンス。
ただ、それを人生の折り返し地点で指摘されても、もう直しようがない。
もっと悪い言葉でいえば、僕は「人間嫌い」なわけだが、そうでなければ「個人としての能力が高すぎて、君に相当する社員を、もう一人育てることができない」という、他方の高評価も出てこない
そりゃそうだろう。僕ぐらい「人間嫌い」で「too shy」でなければ、僕のように企業会計から情報システム、英語力にいたるまで幅広い知識を習得し、かつ、大勢の前でのプレゼンテーション能力も高い。ところが雑談など、ふつうの人付き合いが全くできない、などという奇妙な人間ができあがるはずがない。
もう一つ言えば、口が達者で押しが強い人間を、僕は心のどこかで軽べつしていて、そういう人間にはなりたくないのだ。
ただ、人材の均質性が高く、同調圧力の強い日本的組織において、「いかにもサラリーマン的」人格であることが求められるのも当然だ。
声が大きくて、周囲を巻き込んでいくような立ち回り方ができる人格でなければ、管理職はつとまらない。
これは日本的組織に限ったことではないかもしれない。どの国の企業でも、組織をまとめて先導する立場の人間に求められる人格は、だいたいこういった人格なのだろう。
であれば、生涯、平社員というか、管理職よりも専門職的なキャリアパスで仕事ができれば個人的には十分なのだが、ヘンに知的能力が高いために無用な期待をされてしまう。
まったりと、専門的な仕事をさせて~。