AKB48利権の幻想装置と若年層の相互寄生

またAKB48が「総選挙」をやっていて、一人で5,000枚もシングルを買い込んだファンがいるとか、投票権がYahoo!オークションで転売されているということも目にする。

このAKB総選挙のポイントは、「権利は金で買うものだ」という秋元康からの言外のメッセージだろう。「金さえあれば権利も買える」と言い換えてもいい。
金さえ出せば票が買える、という意味では、秋元康による現代金権政治への強烈な皮肉かもしれない(もちろんこれ自体、皮肉である)。
つまり、公職選挙法で禁止されている買収すれすれの行為が、日本社会にはまだ残っている。その「票を金で買う」という行為を、アイドルのメンバー選抜選挙というかたちで、秋元康は批判したいのではないか。
あるいは、現実の選挙では、一人一票という形式的な平等があるために、かえって経団連や連合などの圧力団体に参加できる人の意見しか、政治に反映されない。
たとえば非正規雇用の労働者には、強力な労働組合が存在せず、連合など正規雇用者のための労働組合と利害が対立するため、自分たちの意見を政治に反映できない。
さらに、非正規雇用からも切り捨てられ、失業給付や生活保護で生活している人々は、自分たちの意見を代表する団体が存在せず、政治的にも経済的にも切り捨てられてしまう。
そのように、現実の政治は、買収を違法としながらも、結局、経済的に豊かな人々の意見が反映されやすい。
たった1,000円で一票を買えるAKB48総選挙は、そうした現実の政治に対する強烈なアイロニーになっているのではないか。
…と、秋元康にあたかも崇高な意図があるかのように書いてみたが、もちろんそんなわけがない。
秋元康が考えているのは自分の企画の実現と金儲けだけで、それに付随して「AKB48利権」にレコード会社やマスメディアが群がっているだけだ。
たとえばSKE48がエイベックスに移籍したのも、エイベックスが自社アイドルグループを育てるのに失敗しており、AKB48利権のおこぼれにあずかるしかないのだろう。
崇高な点など、どこにもない。
AKB48の主要メンバーが、東日本大震災の被災地に無料ライブに出かけたのも、秋元康による贖罪のパフォーマンスと言っていい。
AKB総選挙で「推しメン」のために何枚もCDを買いこむAKB48のコアなファンたちは、日本全体でみれば相対的に豊かではない層に違いない。現実生活が充実している、いわゆる「リア充」の人たちなら、きっとその同じ金を別の目的に使うはずなので。
そういう相対的な貧困層から、AKB総選挙を通じて金をまき上げる。秋元康はその悪徳を自覚しているからこそ、AKB48を被災地での無料ライブなど、慈善活動にかり出すのだろう。
若年層の行動力や金銭を、ここまで強力に動員できるAKB48という「装置」は、たしかに偉大だし、それをプロデュースした秋元康も偉大だ。
ただ、その動員の結果が、AKB48のファン限定の幸福感や達成感と、メディアによっての巨大な「AKB48利権」だけだとすれば、日本社会にとって危険かもしれない。
現実が充実していない若年層が、将来の自分の生活を安定させるために使うべき金銭を、AKB48という幻想装置に搾取されれば、彼らの生活は今後もずっと、同じような幻想装置がなければ成り立たなくなる。
AKB48にあこがれて、アイドルやタレントになって「一発当てる」人生を目指す少女が仮に増えるとすれば、幻想装置を再生産するためのリソースは豊富になるが、現実の社会を回すための働き手が減る。ただでさえ日本では、先進国の中でも女性の正規雇用者が少ないのに。
若年層に夢を与えているつもりが、若年層の方が夢に寄生しなければ成立しなくなる。AKB48という巨大な装置は、そういう依存を強化する方向に働いているように思える。
そしてAKB48という夢の方も、それも支える若年層の経済力に寄生している。投票権を買うお金さえなくなってしまえば、幻想装置は破綻してしまう。
…すごくつまらない記事で申し訳ない。書き終わってそう思った。