伊東乾氏の無自覚なエリート主義を掘り下げてみる

大地震以降、しばらく伊東乾氏のTwitter(ツイッター)の、福島第一原発事故についてのツイートを興味深くフォローしていたが、そろそろ氏の発言に限界が見えてきたので、今日アンフォローした。
実はそれよりも、今日の一連のツイートに疑問を感じたことの方が大きい。
以下に引用してみる。
「人様と面談の約束をしそれまでにきちんと準備をするのは人間の1の1.出来てなければ先様の貴重な時間をkill timeする。別段学校の中だけの事でない。どんな現場の営業でも基本1の1.中途半端に一流大学でござい、なんていうのにこういう基礎が出来ていない人を見る。一度怪我した方がいい」2011/05/20 12:37
「大半の事は愚直なつまらない事の積み重ね。最先端の研究とされるものも、トップアーチストの仕事も、一つ一つは地味。判るな?そうでなくふやふややってる連中がいれば上前はねてるだけの奴で考慮の要なし。学生はまず自分のやるべきことをきちんとする。在学中なら失敗も経験に。社会に出ればただの傷」2011/05/20 12:39
「特に大人のトッププロと共同で責任を負って仕事してる人は学生気分は払拭して貰わねばならない。甘えの通用する世界ではない。出来る事をしないのは「難しい」ではなく人間として「恥ずかしい」事。焦点を絞って結果を出せ。いらぬものは抱え込まず自分の能力を考えて断るなど自己管理。全て自分の責任」2011/05/20 12:42
「人を特定したくないので同報メール代わりにツイートしました。撃墜王とか鬼とか言われる面で話をすると嫌がられるとは思うが、何であれ内容がきちんとしないもので若い人が根腐れするのは良い事ではない。言うだけでなく常に私自身が手を動かして仕事して見せている筈だが判らん子は判るようにという事」2011/05/20 12:45
「月曜に納品にやってくる業者営業「恐縮ですが同じ内容をこちらのアドレスにも送ってくれませんか?」という正体不明のメール。比較的重要な買い物の顧客と思うのだが、この頃の若い人は平気でこういう事が出来てしまうのか、と最高敬語で返信とともに三度目はお断りと書いたけれど、通じるかな?^^;」2011/05/20 13:39
「昔もそうだったのだと思いますが、今日日の子供は教育サービス産業で甘やかされすぎてダメになっていますね。もう生涯やりませんが、30台の頃教養で必修の学内非常勤で考え違い学生数百人の単位で鉄槌落としまくりましたが^^」2011/05/20 13:41
■伊東乾氏のツイートの問題点
(1)まず、特定の学生に対する指導ならTwitterでやらずに本人に一対一で言えばいい。
(2)次に、伊東乾氏が自分が成功者である立場に無自覚すぎること。
前後のリプライから推測するに、この学生は国際学会に必要なレポートか何かを、指導教官との面談日時までに間に合わせなければいけなかった。一日だけ余裕を与えるが、それでも間に合わなければ国際学会への登壇は教官判断で取り下げにする、という事情らしい。
教官としてそのような罰を与えることを「一度怪我をした方がいい」と表現し、それはあくまで「大学の中で転ぶ癖をつけ、社会に出てから怪我するな」という親心である。
伊東乾氏は、「私はいま東大教官というのをやっています。ここでそれ(=おそらく今回の件の学生に国際学会への登壇を取り下げるという罰を与えることで学習させること)をやらなかったら、一体日本のどこでなにやるんですか?」2011/05/20 18:21 とも書いている。
そしてこのように「東大でも芸大でも入ってきたばかりの1年生等勘違いだけ一人前で何もない」2011/05/20 18:32 学生、つまり僕の言葉で言えば、実力に比べて自尊心ばかり肥大した学生を非難して、上記に引用したように、「今日日の子供は教育サービス産業で甘やかされすぎてダメになっていますね」と切り捨てる。
僕が思うのは、伊東乾氏ご自身は、大学一年生のとき、スポイルされたダメダメ大学生ではなかったと言いたいのだろうか。
伊東乾氏の答えが「そうだ、私はそんな甘やかされた学生ではなかった」というなら、大学入学まで自分が育てられてきた環境に大いに感謝し、今の大学一年生を必然的にスポイルする今の日本社会を批判するのが適切な言説である。
つまり、一人の学生が期限までに仕事を仕上げなかったことを、公の場(Twitter)で非難すると同時に教官として愚痴るのではなく、その背景にある問題こそ、東大教官として主題化して考えるべきことではないのか、ということ。
伊東乾氏の答えが「いや、私も実は甘やかされた学生だったが、教官との出会いで鍛えられた」というなら、そういったマッチョな教育に適応できる自分と、そうでない学生との違いがなぜ生じるのかを、一度、主題化して考えてみたらどうか。
■無自覚な自己責任論者
どちらにしても、伊東乾氏は極端な自己責任論者ということだ。それは一連の原発に関する発言でも見てとれる。
つまり、政府や東京電力の発表する情報やデータを読み解く力を身につけ、それによって自分の身は自分で守る、これがすべての国民にとって原発事故に対処する際の、最低ラインだと主張している。
しかし、こうした自己責任論は、すべての人間に完全な機会の平等があるという理想的な社会においてのみ正しい。
現実には生まれ育った環境によって、人間のコミュニケーション能力、知的水準などは千差万別だ。
おそらくいまだに原発事故の問題について、シーベルトとベクレルの違いを理解できないどころか、マイクロ、ミリ、毎時といったことさえ理解できず、漠然とした不安ベースで行動している人々が、国民の大半である。
そうしたおバカな現実の社会を直視すれば、東大や芸大、あるいは音楽の才能を持ってテレビ業界で仕事をするなどのキャリアが極めて特殊であることは、伊東乾氏は当然、理解されているはずだ。
理解されているはずなのに、伊東乾氏のツイートの内容は、氏の才能や立場の特殊性を相対化した内容に全くなっていない。
全くなっていないにもかかわらず、氏は自分の立場を加味して物を言っていると、ことあるごとに主張している。
こういった、自身の特殊性を自覚していないのに、自覚していると言い張る人物が、東大の教官であること自体が、東大生が社会に出てから現実の社会に愕然とする原因の一つになっていることを、氏は理解されているだろうか。
たぶん伊東乾氏は「分かっている」と言い張る。伊東乾氏は何だって「分かっている」のだ。
だから分かり切ったことをいちいち突っ込むなと言ってくるに違いない。そんな分かり切ったことを、忙しいときに突っ込んでくるなと返してくるに違いない。
そう言い返された人間には、「君のようなバカに付き合っている時間はない」というメタメッセージしか残らない。
■世の中の凡庸さに対する絶望の欠如
ところが、現実の社会に出て、一般的な民間企業に入社した東大生が体験するのは、伊東乾氏が教官として必死に教えようとして下さったのとは、まったく違う原理で動くサラリーマン社会だ。
たとえば、サラリーマン社会における仕事の締め切りは、多くの場合、理不尽に決定される。顧客のわがままだったり、社内の力関係だったり。
そして、締め切りは往々にして、職位の高い人間の意思決定のまずさが原因で引き伸ばされるが、それは現場の人間の怠惰のせいにされる。
そういった理不尽がまかり通る会社組織で、伊東乾氏の語るようなまっとうなプロ意識を持てば、「新入社員のくせに何を生意気なことを言っている」という扱いをうける。
つまり、伊東乾式の教育方針なら、プラス評価される態度が、サラリーマン社会では、マイナス評価される場合が多い。東京大学など「頭のいい大学」を卒業した新人なら、周囲の「妬み」が加わるので、なおさらそうだ。
伊東乾氏は、大学に残って研究を続けたり、芸術家として活動を続ける学生を除く、大半の学生が、卒業した後にそういった極めて理不尽なサラリーマン社会に適応しなければならないことを分かった上で、なお、最初に引用したような、エリート主義的な指導方針が正しいと信じているのか。
だとすれば、一般企業のサラリーマン社会が、いかに理不尽で、ルーズで、ご都合主義的かについて、氏の認識は甘く、絶望が足りない、と言わざるをえない。
■無自覚なエリート主義が啓蒙主義へ転じる時の実害
僕は自分が書いていることが、いかにも日本社会的な足の引っ張り合いであることを分かっているが、僕の立ち位置から言わせてもらえば、伊東乾氏は象牙の塔に閉じこもっていればいい。
世の中のバカどもを啓蒙したがっているような言説をふりまくのはやめて、東大で学生だけを相手にしたり、本業の音楽の世界で志の高い音楽家だけを相手にしたりしていればいい。
伊東乾氏はさまざまなところから、原発事故について、的はずれな講演の誘いをうけているそうだ。それが、他ならぬ自分のエリート主義的な啓蒙主義の身振りのせいだということを、いい加減自覚されてはどうか。
自分に原因があるのに、まるで講演を依頼してきた依頼者に良識がないかのようなことを平気でツイートするのも、伊東乾氏に、一般人がいかにバカであるかについて絶望が足りないのが原因だ。
的はずれな講演を伊東乾氏が断れば、依頼者は依頼者が属する組織の中で顔をつぶされ、場合によっては左遷されるかもしれない。しかし、伊東乾氏の名誉は保たれる。
ここにこそ、伊東乾氏の「世間知らずのエリート主義」、あるいは「過剰な理想主義」の実害がよく現れている。
伊東乾氏のような無自覚なエリート主義が啓蒙主義にふみ出すと、結局は、自分の名誉を守るのと引き換えに、当のバカ(=的はずれな講演の依頼者など)の社会的地位を傷つける結果に終わる。
的はずれな講演の依頼者の多くは、悪意で的はずれな講演を依頼してきたわけではなかろう。そういう人間のバカさ加減を、「お互いさま」と許しあうことで、日本のいい加減なサラリーマン社会は成り立っている。
そういう社会へ送り出す人材を育てているのだということを、東大の教官である伊東乾氏はもっと自覚すべきだ。
もし自覚しているなら、的はずれな講演であっても、時間の許すかぎり引き受けるべきだ。そうやって、依頼者の顔を立てるのが、自分の教える学生たちを送り出す、おバカでいい加減な社会への、真の貢献ではないのか。