東電の債権放棄に関する与謝野氏の枝野氏批判は自己矛盾

枝野官房長官が、東京電力の取引銀行に債権放棄を求めなければ、国が東京電力を支援することに国民の納得が得られない、と発言した。
これに対して今日、2011/05/20、与謝野経済財政担当相が反論し、「電力のような堅実な公共性を持った事業に金を貸すことに貸し手責任が発生することは、理論上あり得ない」と述べた(産経新聞)。
東京電力の取引銀行が本当に債権放棄をすれば、それ以上、東京電力に融資しないことの宣言になり、ますます原発事故の補償が難しくなる。その意味で、与謝野経済財政担当相の反論は正しい。
しかし、その反論の理由付けが、まったくおかしい。
(1)まず「堅実な公共性を持った事業」と「そうでない事業」が存在するかのような発言を、経済財政担当相がすることは大きな問題だ。
つまり、日本の経済政策を担当する大臣が、金を貸すリスクの低い事業と高い事業が存在し、電力会社はリスクが低いと発言したことになる。
政府が「堅実な公共性を持った事業」の銀行から融資条件を、有利になるように(借入金利が低くなるように)誘導しているとも受け取れる。
当然、どのような事業のリスクが高いか低いかは、与謝野氏の本来の考えなら市場が決めるはずのことで、大臣が「電力会社は低リスクの事業だ」などと、公の場で発言するのは問題外だ。
(2)次に今回の震災によって不良債権をかかえる金融機関は、東京電力に融資している銀行の他にもたくさんあるはずだ。
例えば、被災地にある中小企業に融資していた銀行は、債権回収が難しくなるだろう。
そういう銀行は「堅実な公共性を持った事業」に金を貸していなかったのだから、貸し手である銀行も、借り手である中小企業も、つぶれて当然で、国が支援する必要はない。与謝野氏はそう言っているのと同じである。
おそらく日本経済新聞など、市場に対する政府の介入を最小限にしたいメディアは、表面上、市場主義寄りに見える与謝野氏を擁護し、枝野官房長官を批判するだろう。
しかし実際は、東京電力は半ば国策による地域独占と原子力の推進という、計画経済的な事業によって初めて「堅実な公共性を持った事業」たりえているのであり、生まれつき「社会主義的」とは言わないまでも、非市場主義的な事業体である。
そういう事業体である東京電力について、枝野官房長官を市場主義の立場から批判するのは、自己矛盾なのだ。
まあでも、日本経済新聞やその周辺のメディアは、素朴な市場主義の立場から、与謝野氏の発言を擁護し、枝野氏の発言を「政治的だ」と非難し続けるだろう。
僕が日経新聞の購読をやめたのも、日経系メディアのこうしたダブルスタンダードが、だんだん鼻についてきたからなのだが。