上原美優さんの自殺は貧困家庭の社会的疎外の問題

上原美優さんの『10人兄弟貧乏アイドル☆』(ポプラ社)を読んだ。なんだかやりきれない気持ちだけが残る本だった。

先日書いた記事「上原美優さんの自殺の原因を推測する」の誤りを訂正しつつ、感想を書きたい。
結論から言えば、上原美優さんの自殺は、先日書いたような、彼女のタレントとしての「売り」と個人の現実とのギャップなどではない。もっと社会的な問題だ。
よくテレビで大家族のドキュメント番組を放送している。個人的には全く興味がないので見ないが、先進国である日本でたくさん子供をもつことは、当の子供たちにとって幸せだろうか。
以下、上原さんのご家族に失礼なのは承知で書かせていただく。
発展途上国の家族がたくさん子供をもつのは、次のような点で合理的な選択だ。
(1)伝染病や政情不安などで、乳幼児の死亡率が高いこと。
(2)子供が多いほど、将来の家族の収入が増えること。 などなど
いっぽう日本のような先進諸国では、子供が社会に出たあと、一定の収入を得るために求められる教育水準が高い。わかりやすく言えば、学歴がなければ良い仕事につくのが難しいということだ。
もちろんこれはあくまで一般論で、学歴がなくても努力して成功する方は少数だがいらっしゃる。
ただ、将来の家族の収入を増やすには、たくさん子供を持つよりも、少ない子供にたくさん教育費をかける方が合理的なのが、先進国の社会だ。
上原美優さんは10人兄弟の末っ子だが、本書を読むと、子だくさんの結果、家庭が貧しいという理由だけで、日本社会ではさまざまな不利益をうけることがわかる。
本人が書いているように、家族の中にいる限りは不幸だと感じることはない。しかし家族から離れて自立するにつれ、周囲の平均的な経済レベルの家庭との格差によって、さまざまな不利益をうける。
本書はいわば、貧乏な家庭がいまの日本社会でいかに社会的制裁をうけるか。その悲劇的なケーススタディになっている。読み進めるのがかなりつらい。
たとえば上原美優さん、というより本名の藤崎睦美さんは、中学校3年生の時点で、子供にとっていちばん大切な「学校」という共同体から追放されてしまう。(なぜ中学3年生だったのかは、本書をお読みいただきたい)
それまでは彼女自身の努力で成績も良かったが、中学3年生以降は不登校になる。高校に入ると、楽しい高校生活を送る同級生たちを、世間のイメージそのままに「女子高生」とひとくくりにして、憎悪さえ抱くようになる。
その結果、いわゆる「不良少女」になり、グループどうしの敵対関係から、仕返しとして性暴力をうけるなど、心身ともに大きな傷をうける。
本書の最後の4分の1ほどは、その後の急激な「転落」の手記になっている。
本の最後には、とってつけたようにタレント上原美優として、「いまは幸せです!」という前向きな言葉や、家族への感謝が書かれている。
しかし実際には藤崎家全体の問題は、いまだ解決されていないように見える。
本書の最後の方に、彼女が芸能界に入った後の、人生で2度目の自殺未遂について詳細な記述がある。この自殺未遂の直接の原因は、うつ病と経済的な困窮だ。
うつ病の方は、上京してから運命的な出会いをした彼氏との別れが直接の引き金になっている。
その別れの原因は、藤崎家の経済的困窮(詳細は本書を参照)のため、彼女が一時的に所属事務所をやめ、キャバ嬢の仕事をせざるを得なくなったことにある。
つまり彼女は、彼女個人の問題ではなく、藤崎家全体の貧困によって一時的に芸能活動をやめざるを得ず、それによって恋人という精神的な支えを失い、うつ病になり、自殺未遂におよんだ。
そして彼女がキャバ嬢として働かざるを得ない原因となった、藤崎家の借金は、藤崎家の知り合いの保証人になった結果だ。つまり、貧困家庭どうしの貧困の連鎖なのである。
貧困家庭が、一般的な経済水準の家庭からなる共同体から疎外されているがゆえに、貧困家庭がさらに別の貧困家庭をさらに困窮におとしいれる。このような構図があるのだ。
多額の債務を背負ったとき、違法な取立てについて、消費生活センターに相談するなどの知識がなかったこと。また、そういうアドバイスをしてくれる知人が周囲にいなかったこと。これも貧困家庭が疎外されていることを示している。
上原美優さんは自分の貧乏をネタにしていたわけだが、本書を読むかぎり貧困家庭にとって、貧乏そのものより、社会から仲間はずれにされることの方が致命的であることがわかる。
上原美優さん自身、本書の最後の方で自分のことをバカだと卑下している。おそらく一時期、いちばん大切なはずの母親を憎んだことへの自責の念もあるのだろう。
ただ、じっさいには藤崎家全体の教育水準の低さと、その結果による経済水準の低さがもたらした悲劇であって、彼女個人の問題ではない。
彼女だけでなく、藤崎家の人たちが、それぞれに自分の問題を自分の責任だと考えているとすれば、それこそまさに貧困家庭が社会的に孤立した結果の悲劇である。
せめて藤崎家が適切な専門家に相談できるよう、誰かが外部から支援の手を差し伸べていれば、今回の上原美優さんの自殺は防げたかもしれない。
別の言い方をすれば、藤崎家を支援するのに必要だったのは、上原美優というタレントを「貧乏アイドル」としてもっと売れるようにすることではなく、藤崎家の10人兄弟のうちの誰かに、行政などの支援を得るための知識や情報を与えることだった。
世の中には無知で孤立した人間を騙して、金銭を搾り取ろうという狡猾な人間はたくさんいる。
そういう人間の犠牲にならない知識や情報を仕入れるルートを確保しなければ、かりに上原美優さんが今回の自殺も未遂に終わっていたとしても、芸能界を引退したあと幸福な結婚生活を送ることも難しいままになる。
上原美優さんが亡くなったあとの藤崎家にも、社会的孤立と経済的困窮の問題が残ったままになる。
40年前の日本なら藤崎家のように極端に貧しい家庭であっても、そういう家庭どうしが助けあう共同体が、まだ残っていたかもしれない。
ところがいまの日本では、貧困家庭は社会から孤立し、社会を生き抜いていくための知識や情報も遮断されるのだ。
上原美優さんの自殺は、地域共同体が崩壊した後の日本社会の、一つの悲しい帰結だ。グラビアアイドルが個人的な悩みから自殺した、というだけでは済まされない問題をふくんでいる。