鬼束ちひろ『剣と楓』レビュー(4)作詞態度そのものの変化

鬼束ちひろ『剣と楓』について、わかったような気分になれるレビューを、数回に分けて書いてみるシリーズ。

今回も引き続き歌詞について。
3曲目の『EVER AFTER』と9曲目の『CANDY GIRL』については、レビューすべきではないだろう。自伝エッセイ『月の破片』の中で鬼束ちひろが書いているように、この2曲は某アイドルグループを念頭に書かれた曲だからだ。
それはこの2曲とも、一人称が「僕」「僕ら」になっていることからも分かる。『CANDY GIRL』は完全に男の子目線で女性(CANDY GIRL)を見つめる歌詞だ。
以前の曲でいえば『Sign』にあたる。鬼束ちひろは第三者の立場で俯瞰し、他人のための脚本を書くように書いた歌詞ということだ。『Sign』もやはり明らかに男の子目線で女性に対して書いた歌詞だった。
『Sign』との違いをあえて書くとすれば、『Sign』がシングルだけの発売だったのに対して、同じタイプの曲が2曲もアルバムに収録されたことだろう。
彼女曰く「降りてくる」としか表現しようのないソングライティングにおいて、自分の書く歌詞や曲に一定の距離をとることができるようになってきた証拠だ。それがファンにとって良いことなのかどうかは別として。
そして『Sign』と、『EVER AFTER』『CANDY GIRL』のもう一つの違いは、脚本の中に描かれた男の子と女性の距離感だ。
『Sign』はよく冗談でストーカーソングと呼ばれるように、主人公の男の子は女性から、少なくとも「星屑を降らせて音を立て」たり、「煌めく夜汽車」を走らせるくらいの距離がある。
それくらい遠大な距離があるのに、「いつだって泣きたくなる程にただ君の事を考えている」ところが、ストーカーソングと呼ばれる理由なのだろう。
僕個人は、意外に鬼束ちひろが上京したときにあきらめた、遠距離恋愛(詳細は『月の破片』を参照のこと)をほのめかしているのではと思うのだが。
そんな『Sign』に対して、『EVER AFTER』は明確に二人でいっしょにこれからの物語を描こうという強い意志に満ち溢れている。アニメのオープニングテーマじゃないかという、恥ずかしいほどのポジティブさだ。
だから誰かこの曲で『交響詩篇エウレカセブン』のMADを作ってくれないかなぁと、個人的に期待しているのだが。
重要なのは鬼束ちひろが、客観的に、確信犯的に、その恥ずかしいほどのポジティブさを演出しているという点。
この歌詞の中では、あらゆる「絆」、あらゆる「答え」、「幸せの定義」、「きれいな言葉」、「広がる世界」といった、抽象性がすべて捨て去られ、二人の関係性が遍在する世界観になっている。
最近のアニメでくり返し主題歌される、いわゆる「セカイ系」だ。世界全体が二人の関係性を支えているのではなく、二人の関係性が世界全体の命運を握っている、そういう極めてヲタク的世界観が、『EVER AFTER』にはあざやかに書かれている。
対して『CANDY GIRL』は大人の女性の魅力に惑わされる男の子といった感じ。5th『DOROTHY』の『STEEL THIS HEART』が女性から男性への誘惑とすれば、この曲は逆方向。二人の関係性だけが存在する世界観は同じで、やはり『EVER AFTER』と同じく、底抜けに明るい。
「その口唇に架かる虹を渡って/辿り着くよ」
なんて、以前の鬼束ちひろにはぜったい書けない歌詞ではないかと思う。
この2曲『EVER AFTER』と『CANDY GIRL』は、鬼束ちひろの歌詞の内容の水準だけでなく、彼女が歌詞を書くときの観点や態度というメタレベルでも、以前と大きく変わっていることを、はっきり示している。
この鬼束ちひろの新しい側面がイヤなのだとすれば、そういう聴き手の独りよがりには同情するしかない。今の鬼束ちひろを嫌い、昔の鬼束ちひろだけを受け入れるファンは、自分の期待を相手に押しつけているだけの、まさにストーカーだ。