鬼束ちひろ『剣と楓』レビュー(3)世界に対する態度変更

鬼束ちひろ『剣と楓』について、わかったような気分になれるレビューを、数回に分けて書いてみるシリーズ。
今回も引き続き歌詞について。

2曲目『夢かも知れない』の歌詞を読むと、今までにない状況描写で始まり、彼女の作詞に大きな変化起こっていることが分かる。
「桜散る路で正気に戻る」
「踏みしめる足で坂道を登る」
「古びたベンチに荷物を置く」
日常的な風景を思い浮かべられるこのような歌詞は、たしかに鬼束ちひろらしくないと言えばそうかもしれない。
典型的には『Castle・Imitation』に見られるような抽象的な単語の羅列が、鬼束ちひろ自身にとっては、もう「若気の至り」になっているということだろう。
「有害な正しさをその顔に塗るつもりなら私にも映らずに済む/
 燃え盛る祈りの家に残されたあの憂鬱を助けたりせずに済む」
(『Castle・Imitation』の冒頭)
30歳のシンガーソングライターがこんな青臭い歌詞を書いていたら、それこそ「痛い」ということになる。
自伝エッセイ『月の破片』では、鬼束ちひろ自身はいつまでもガキのままでいると、成熟を拒否している。しかし、1stアルバムから3rdアルバムまでの、事務所がつくり上げたニセのイメージまで、いつまでも引きずるつもりはない、ということだ。
ただし「夢かも知れない」の歌詞には、変わらず鬼束ちひろらしい諦めや絶望は、しっかりと残っている。
「私は崩れよう/世界がこうして窮屈なら/叶うはずもない」
「私は堕ちよう/世界がうまく回らないなら/叶うはずもない」
しいて言えば、『月光』の有名な歌詞で、私は腐敗した世界に「墜とされた」神の子だったのに対して、今の鬼束ちひろの書く歌詞は、自ら崩れること、堕ちることを選んでいる。
世界が自分の意のままにならない諦めや絶望はそのままだが、そういう世界に私は「堕とされた」のか、「私は堕ちよう」なのかは、大きな違いがある。
言ってみればその主体的選択のような意思は、この『夢かも知れない』の歌詞の中で唯一英語の部分に、はっきりと宣言されている。
「If you are a dream/
I’ll choose a dream」
「もしあなたが夢ならば、私は夢を選ぼう」という覚悟。もちろんこれは単なる恋愛にとどまらず、自分の意のままにならない腐敗した世界全体に対する、大きな態度の変化ととるべきだろう。
つまり1曲目の『青い鳥』が、音に導かれた終のない音楽の探求の始まりを告げているが、その探求において、鬼束ちひろが世界に立ち向かうときの態度を、より主体的なものに変えつつある。
それが『夢かも知れない』の歌詞から読みとれる、鬼束ちひろの表現の上での大きな変化である。
(つづく)