鬼束ちひろの音楽から失われたもの

鬼束ちひろの『剣と楓』について、あえて、鬼束ちひろの音楽から何が失われたのか?を考えてみた。
たぶん、不自由さだろう。
自伝エッセー『月の破片』によれば、鬼束ちひろは高校時代にJewelを聴いて、ミュージシャンになるんだと否応なしに思ったとある。
「私も曲を書かなくちゃ! アルバムを聴いて、すぐにそう思った。『書こうかな』とか『書いてみたい』などというような、夢見心地な思いつきではなかった。書けるかどうかという、迷いすら思い浮かばないほど」(『月の破片』p.174)
高二の鬼束ちひろにそこまで思わせたのは、それまでずっと、学校の集団生活にどうしても適応できない自分を感じていたからだ。
「たとえば、教室という箱の中に同じ年の子供たちが、ギュウギュウに詰め込まれているあの感じとか、机とイスが整然と並んでいる感じとか、全員が同じ歩幅で行進したり、整列したりするところとか、決まりごとばかりあるところとか……。思い出すと今でも気が狂いそうになる!」(同 p.032)
つまり、彼女にアーティストへの第一歩を踏み出させたのは、学校という環境に彼女が感じていた不自由さから解放されたいという気持ちではないのか。
初めて受けたオーディションに合格して、上京した後に待っていたのは、ホームシックだ。
「宮崎から上京した私は、毎日寂しくて死にそうだった」(同 p.059)
初めて家族と離れて暮らす孤独は、彼女が自分でコントロールできるレベルのものではなかった。否応なしに孤独という環境におかれた不自由さ。そのなかで、鬼束ちひろの曲のストックは産まれていく。
「上京してから、本格的に作曲をするようになった。デビューまでの一年弱、ひとり暮らしを始めたばかりの部屋で、寝ても覚めても曲を作り続けた。ちょっとした修行のような日々」(同 p.046)
どうしたって逃げ出せない孤独感という不自由さが、産まれていく曲に反映されていないはずがない。
デビューした後には、あまりにも厳しすぎるマネージャーとの人間関係。
「アーティストとしての振る舞い方や生活態度にいたるまで、細かく激しく怒られた。怒られるたびにその晩ひとりで泣いて、次の日もまた怒られて……ストレスの無間地獄」(同 p.061)
鬼束ちひろを「ベールに包まれた存在」として売り出すために、当時の所属事務所は、彼女をストレスの無間地獄という不自由な状態におとしいれた。
そうして活動していく中でファーストアルバム、セカンドアルバムを発売し、二度目の全国ツアーを行っているとき、今度はパニック障害という病気が、彼女を綱渡りの状態にする。

さらに慢性の不眠症との戦いもそうだ。鬼束ちひろ自身は、過緊張が不眠症の原因だと書いているが、今度は今夜も眠れるかどうかという不眠症への不安が過緊張を生む。
パニック障害も不眠症も、彼女が本当はこうしたいのに、ということを妨げ、不自由さをもたらしてきたはずだ。
しかし、現在の彼女の音楽制作の環境は、以前に比べれば不自由さから大きく解放されている。
「デビュー間もない頃は、スタイリストさんが用意してくれる衣装が”超”が付くほど不満だった。シンプルで清楚で透明感のあるイメージ」(同 p.144)に、おそらく彼女が学校という箱に抱いていたのと同じ、強い違和感をもっていた。
いまは彼女が自分で自分をコーディネートしている。お仕着せの不自由さからの解放。
そして音楽のプロデュースも、自分の思うままにできるようになった。
「今回のアルバムで一番嬉しいのは、”Produced by Chihiro Onitsuka”っていうクレジットが入っていること。要するに、セルフプロデュースができたことだ」(同 p.237)
こうして、一つ、また一つと、それまで鬼束ちひろとに不自由さを強いてきたものから解放され、ようやく「自分らしさ」に近づいてきた。
彼女自身もそういう認識をもっているとすれば、それによって彼女の音楽から失われたものも確実に存在するはずだ。
鬼束ちひろ自身の存在が今にも粉々にこわれてしまいそうなほど、激しい緊張感をもたらしていた不自由さから解放されることで、鬼束ちひろの音楽から失われてしまったもの。
その失われたものに、昔からの彼女のファンは気づいているのではないか。
単に容姿が、昔のように「清楚で透明感のあるイメージ」ではなくなった、というだけの問題ではなく、どうしたって鬼束ちひろの音楽から聴き取れてしまう、逃れようのない不自由さにこそ、昔からの彼女のファンは惹かれていたのではないか。
ニューアルバムの『剣と楓』に解放感があるとすれば、それは鬼束ちひろの音楽から失われたものをはっきりと指し示している。ロックが不自由さからの解放の音楽なら、なおさら。
剣と楓 - 鬼束ちひろ剣と楓 – 鬼束ちひろ