鬼束ちひろ『papyrus』2011年04月号記事レビュー(3)

『papyrus(パピルス)』2011年04月号の鬼束ちひろ特集について、まだまだレビューは続く。

次章のタイトルは「ベール」。この章はデビューの頃の作られたイメージについて、核心にふれた記述がある。アーティストの本当の姿を知る必要などない、あるいは、すべての人間について「本当の自分」などというものはどこにも存在しない。そう言ってしまえばそれまでだが、少なくとも鬼束ちひろの場合、自分が自分自身に対して持っているイメージと、アーティストという商品としての自分に演出されたイメージの乖離に、悩んでいたというよりも、自覚的だったということは言えそうだ。
「おまえのことは、ベールに包まれた存在にする」
 デビューが決まってすぐにプロデューサーから宣言された。どうやらそれが”歌手・鬼束ちひろ”の売り出し方みたい。
 ベールに包まれた存在って何? って思ったけど、その頃はまだ暴れん坊の自分を隠していたし、この業界のことをまったく知らなかったから、そういうものなんだと素直に受け入れた。
この「ベールに包まれた存在」という。鬼束ちひろの作られたイメージを、いまだに引きずっている昔のファンたちが、最近の鬼束ちひろをモンスター扱いしている。どちらが「痛い」かと言えば、いまだに過去を引きずっている昔のファンの方が「痛い」のは明らかだ。ただ、上にも書いたように、アーティストが自分の個人的な自己イメージにこだわってまで、第三者であるリスナーに向けて音楽活動を続ける必要があるのか、という根本的な疑問は残る。ファンの期待するイメージを大きく裏切るくらいなら、音楽活動をやめるべきではないか、という考え方も、商業音楽のアーティストについて、ある程度は正しい。
 宮崎から上京した私は、毎日寂しくて死にそうだった。引っ越しの手伝いに来ていた母と弟と妹と原宿駅で別れることになった瞬間から、ホームシックが始まったのだ。子どものように、人目をはばからずワーワー泣く私。しかもそのときは宮崎に恋人がいたから、ますます帰りたい気持ちでいっぱいだった。歌手としての成功が約束されていたわけではなかったから、不安ももちろんあった。
 スタッフの「大丈夫、おまえは絶対に売れるから」という言葉を糧にして、ひとり暮らしの部屋でひたすら曲を書き続ける日々。あの頃の猛進ぶりに比べたら、今の私は抜け殻みたい。軽くアンモナイト状態だよ。
「抜け殻みたい」という表現から、現時点のアーティストとしての鬼束ちひろは、『月光』でブレイクする前に曲を書き続けていた頃よりも、充実感がないということなのだろうか。それとも、作曲に忙殺されていた頃よりも、今は本来の自分をとりもどせているということなのだろうか。「アンモナイト状態」という比喩の意味がはっきりしないが、生きている中身がなくなり、殻だけになった化石としてのアンモナイトと解釈しておく。
 ベールに包まれた存在っていうのは、もしかしたら単に放っておかれてるだけなんじゃない? そんな疑いを持ったこともある。プロデューサーに会えない時期が続いたのだ。彼の体調の問題もあったからなんだけど、不安と寂しさで私はまた泣きながら母に電話をした。母は娘を不憫に思って、ヒステリックになってスタッフに電話をした。ベールの先は、何も見えない日々だった。
 歌手になると決意して東京に来たものの、宮崎に帰りたい思いはそのあとも常にあった。今だから言えるのだけど、一年くらいで音楽活動を辞めて、宮崎へ帰って結婚しようと思っていたくらい。
 そうしたら、「月光」がヒットして、大変なことになってしまったのだ。
 それまでは、デビューした実感がほとんどなかった。これもやっぱり、私がベールに包まれた存在だったからだろうか? 親戚や友達はやたらと増えたけどね。
羽毛田丈史の体調に問題があったという意味だろうか。先の見えない音楽活動に、あまり強い執着がなかったという点は、やや驚きだ。ただ、以前のインタビューで話していた「ジェットコースターのような人生」という言葉を思い出すと、例えば「月光」のヒットのように、自分の意志とは無関係に大きな環境の変化にのみこまれることで、自分の思うままにならない現実に、逆に意味を見いだしたのは、ここから始まっていたのかもしれない。アーティストとしての鬼束ちひろは、やはり「月光」から始まっていたといえる。しかし、それを認めると、今回のニューアルバム『剣と楓』のように、完全セルフプロデュースで自分の思うままに音楽制作でき、活動もできるという環境が、彼女にとってはマイナスなのではとも思える。

 忙しくなればなるほど、ホームシックもひどくなった。
 ホームシックがなかなか治らない理由のひとつに、マネージャーとの関係が良くないことがあった。当時の私のマネージャーは、アーティストの担当をするのが初めての人だった。今となれば、その人の気持ちを理解できるし、大切にされていたこともよくわかる。だけど当時の私にとって、彼はあまりにも厳しすぎた。アーティストとしての振る舞い方や生活態度にいたるまで、細かく激しく怒られた。怒られるたびにその晩ひとりで泣いて、次の日もまた怒られて……ストレスの無間地獄。そのうち反抗することを覚えて、暴れん坊の本性を徐々に発揮するようになったんだけど。
このあたりを読んでいると、鬼束ちひろの変貌ぶりを変人よばわりする人たちよりも、彼女自身の方がよほど常識人じゃないかと思える。ストレスの無間地獄の原因だった当時のマネージャーに対しても、大人の配慮がある。少なくとも、鬼束ちひろが有名人なのをいいことに悪口雑言を書き散らしているネットユーザより、鬼束ちひろの方がはるかに良識ある聡明な大人だ。
 デビュー当時はほかの新人アーティストと同じように、公開ラジオ、地方のCDショップでのインストアライブ、キャンペーンなど、何でもやった。仕事だからサインもするし、ファンと握手もする。だけどそこに、喜びや興奮はなかった。
 とあるイベントで、車の前で「月光」を歌ったこともあったっけ。「I am God’s child」って歌う私を、外国人がめっちゃ見てたのを覚えてる。
 初めてのレコーディングのことは、ぼんやりとした覚えていない。だけどそれまでお風呂の中でしか歌ったことがないようなものだったから、楽しかった気はする。
 CDジャケットのビジュアルをああでもない、こうでもないって言いながら作っていく過程も新鮮だった。
「月光」が注目され始めた頃から、さすがの私も周囲の様子の変化に気づくようになっていた。ライブで私の歌を聴いて、ぽろぽろと涙をこぼしたり、失神しそうになっている女の子を目撃するようになったのだ。
「背中に鬼って書いてください!」
 サイン会場でいきなり私に背を向けて、ジャンパーにサインをねだるような強面の男の人もいた。
「いいですかー、書きますよ!」
 なんて言いながら、堂々とした「鬼」を書いてあげたっけ。
 ファンの子が宮崎を訪れて、実家の横にある古いホテルに泊まって”鬼束ちひろの地元巡り”をするようにもなった。最後のサプライズは、鬼束母が登場してアイスを配ること。わざわざ遠くからやって来た娘の大事なファンに対して、母も責任感いっぱいだったみたい。
 思いがけず熱い反応を返されて、最初は戸惑ったけれども、嬉しさやありがたい気持ちももちろんあった。同時に、私にはこういうファンが付くんだと、彼らの存在を初めて意識するようにもなった。
 私のファンは熱狂的で、信者みたいな人たちだった。
自分のファンたちが「信者みたいな人たちだ」という事実を、鬼束ちひろ自身がかなり引いた目で見ていることがよくわかる記述だ。「彼らの存在」という言葉にも、彼女自身と熱狂的なファンの間に、乗り越えられない距離があることをはっきり示している。本来は「暴れん坊」である彼女のことを、いちばんよく知っている家族と鬼束ちひろの関係の内側から見ると、ミュージシャンとして活動している鬼束ちひろは、自分の意志ではどうにもならないものに振り回されたりもする、現実から遊離した、地に足のつかない人格なのかもしれない。
剣と楓 - 鬼束ちひろ剣と楓 – 鬼束ちひろ
(つづく)