「災害時にはツイッターを」という政府指導のいろいろな問題点

今朝、NHKでヘンなニュースを見た。
NHKニュース『公的機関 ツイッター活用促進へ』(2011/04/04 07:08)
今回の震災で、防災無線が使えず、公的機関のウェブサイトも閲覧できなくなり、住民に情報発信できない状態が続いた。
そこで、経済産業省や総務省が、携帯電話からもアクセスできる「ツイッター」などのソーシャルメディアと呼ばれるサービスを、より多くの公的機関が活用するよう促した、らしい。
経産省や総務省のこの指導は、さまざまな意味で問題がある。
(1)個人に依存したシステム管理への反省がない
大人数にいっせいに情報発信するなら、ツイッターのような、おたがいの情報交換を基本とするソーシャルメディアより、従来型のブログや掲示板サービス、それに意見を受け付ける電子メールがあれば十分だ。
今回の震災で公的機関のウェブサイトが閲覧できなくなったのは、単にサーバの管理を遠隔地の業者に委託するという、基本的なリスク管理をサボっていただけのことだ。
小さな地方自治体にありがちなのは、パソコンに詳しい職員が、役所の中に自前でサーバを構築して、属人的な運用を行っていたために、そのサーバ機ごと被災した、というパターンではないのか。
こうした特定の職員に依存したシステム管理は、インターネット上で、全国規模でブログや掲示板、電子メールのサービスを提供している業者に、ウェブサーバの管理を委託しさえすれえば解決できたことだ。
わざわざパソコン初心者に敷居の高い、ツイッターのような最新のサービスを使う必然性はない。
(2)情報技術の弱者に対する配慮がない
今回の震災で、携帯電話がつながりにくい中、ツイッターなどのソーシャルメディアが有効活用されたのは事実だ。ただしそれは、パソコンや携帯電話、スマートフォンを、ふだんから使いこなしている市民に限った話だ。
例えば、パソコンの基本的な使い方をひととおり知っているとか、まだ老眼がそれほど進んでいないとか、キーボード・アレルギーがないといったささいなことが、情報技術の格差を生み出している現実を、政府はなぜ軽視するのだろうか。
過疎化や高齢化の進んだ地方の住民に、例えば以下のようなことを一から説明し、理解した上でツイッターのようなものを使ってもらうのは、はたして現実的だろうか。
・そもそもツイッターとは何か
・アカウントを取得するとはどういうことか
・フォローする、フォローされるとはどういうことか
・タイムラインが何を意味するのか
・リツイートとは何か
・すべてのツイートを信用していいか
・リプライとは何か
・ダイレクトメッセージとは何か
などなど、理解してもらうべき事項をあげはじめるとキリがない。
ツイッターのようなソーシャルメディアは、すでにインターネットを使い慣れているからこそ、使いこなせるのであって、パソコンさえ満足に使えない人にとっては敷居が高すぎて、現実的ではない。
こんなことさえ政府は想像できないのだろうか。
(3)災害対応を海外の一民間企業に頼るリスクを考えていない
今回の震災で使えなくなったインフラ、つまり、防災無線、携帯電話、固定電話などは、本来、各自治体や国内の各通信会社が、住民や契約者に対して責任をもってサービスを維持すべきものだ。
防災無線がダメなら、まず政府主導で災害用の衛星電話を準備すべきだろう。電話の代替としてインターネットが有効だとわかったなら、まず国内の通信事業者に災害時の代替システムを準備するよう、政府が指導すべきだろう。
そもそも、海外の単なる一ベンチャー企業に頼る必要はないし、災害対策という国家の重要な問題の解決を、同盟国の米国とはいえ海外資本の企業に頼るべきではない。政府自身がツイッター社の名前を出したのか分からないが、国家としてまともな危機管理とはとても言えない。
政府は未曾有の震災のうえに原子力発電所の事故が起こり、冷静な思考ができなくなって、あやしいIT識者の意見にふり回されているのだろうか。テレビによく顔を出すIT識者のアドバイスを鵜呑みにしたにおいがプンプンする。
これも民主党の言う「政府主導」の弊害か。自民党政府ならお役人に丸投げするはずなので、かえって災害時のツイッターの活用推奨みたいなバカげた危機管理策はでてこなかったかもしれない。
この点は、いままで役人たたきをやり過ぎてきた国民にも責任がある。
(4)国内ソーシャルメディアが災害インフラとして使えない
また別の観点では、ソーシャルメディアとして、グリーやモバゲー、ミクシィより、ツイッターがはるかに大きな存在感を持っている事実にも問題がある。いずれも独自色が強すぎて、汎用性のあるインフラとして使えないのだ。
グリーやモバゲーなど、単なるオンライン・ゲーム業者が、災害時のインフラとして信用できないのは言うまでもない。もともと公共的なサービスを提供するための企業ではなく、携帯電話のヘビーユーザーである若者のための仮想コミュニティである。
ミクシィは震災後の広告を見ると、安否確認など公共的な役割をはたす意思はあるが、システムがそうなっていない。
最近までミクシィは、既存会員の招待がないと入会できない制度だったため、暗黙のルールにしばられた、しがらみの多い、閉鎖的な共同体になってしまっている。昔から使っている人には居心地はいいが、誰もが気軽に使えるシステムではない。
これら、いかにも日本的なソーシャルメディアに対して、ツイッターは欧米だけでなく、アジア圏、イスラム圏などにも一定の利用者をもち、比較的しくみが単純で汎用性がある。
ブログも特定のサービスを指すのではなく、マイクロブログの一種であるツイッターもふくめた、ネット上に文章などを公開するしくみの総称で、やはり汎用性がある。
もちろんブログも文化中立的ではなく、自己責任と言論の自由という自由主義の価値観にもとづいているが、しくみがシンプルという一点だけで世界的なインフラたりえている。
これは日本の携帯電話と同じく、作り手が消費者のニーズを先回りして、細かい機能を作りこむという、良く言えば「日本のものづくり精神」、悪く言えば「部分最適の余計なおせっかい」なので、仕方ないのだろう。
以上のように、災害時の非常連絡インフラについての、経産省や総務省の指示ひとつ取っても、個々の組織レベルのITガバナンスの問題、国内のIT格差の問題、安全保障上の問題、国内IT産業の「ガラパゴス化」問題など、いろいろな問題がうかがえる。