原田曜平『近頃の若者はなぜダメなのか』(光文社新書)を読んだ

原田曜平著『近頃の若者はなぜダメなのか 携帯世代と「新村社会」』(光文社新書)を読んだ。

博報堂のマーケティングアナリストである筆者が、全国1,000人の若者に面接を行った結果を分析してまとめた本。
「近頃の若者はなぜダメなのか」というタイトルは、いわゆる釣りで、若者を批判しているわけではなく、むしろ若者の行動原理を分析し、大人に対して分かりやすく説明する内容だ。
あまりびっくりするような目新しいことは書かれていない。
若者が過剰に空気を読むようになったのは、携帯電話によって、今までは考えられなかった数多くの帰属集団を持つようになり、そのどれからも排除されないようにする必要がでてきたから、というもの。
引き合いに出されているのは、主に山本七平の『空気の研究』で、日本人の行動原理を「空気」で説明すること自体、とても平凡なアイデアで、確かに分かりやすい。
ただ、一か所だけ宮台真司が批判的に引用されている部分があり、そこが原田曜平氏と宮台真司の違いをはっきりさせている。
それは、宮台真司が援交をする女子高生を三世代に分け、第三世代は親友にさえ自分が援交していることを言わない、という議論を引用している部分。
宮台真司のブログで、「若い世代のコミュニケーション―その変化の背景そして処方箋―」(2010/02/24)という記事を読むと、宮台氏の論旨がよくわかる。
原田曜平氏は、宮台真司が援交第三世代は意図的に自分の援交経験を親友に隠していると言うが、実際には、単に告白する必要性を感じていないだけだ、と書いている。
ところが、そう書きつつ、原田曜平氏の論旨は、現代の若者は携帯電話を通じて属している、さまざまな集団から排除されないように、空気を読むことではじめて生き延びているというものだ。
であれば、援交第三世代が援交経験を親友に隠すのも、親友という帰属集団から排除されないため、という具体的な意図があるとするのが自然だろう。
このように、博報堂のマーケティングアナリストで、学者ではないので、原田曜平氏の議論の論理的一貫性は弱い。
例えば、近頃の若者が、たまたま携帯電話という帰属集団とのコミュニケーションを、高速に処理できるメディアを手に入れたせいで、昔の若者に比べて、帰属する集団の数がはるかに増え、それによって、時に相反する「空気」を読む必要が出てきたことが、昔の若者との根本的な違いだ、という議論。
これでは、近頃の若者と、昔の若者の間にあるのは、帰属集団の数という量の違いだけであり、「空気を読む必要性にかられている」点で、本質的な違いがないことになる。
また、帰属集団ごとのさまざまな役割の使い分け、男性なら「父親」、「夫」、「会社員」など、複数の「仮面」の使い分けが、近頃の若者に限らず、近代人に共通する特徴だというのは、かなり古典的な社会学の理論だろう。
演じるべき役割が増えたとき、役割どうしをより効率的に区別するため、役割によって特殊なコミュニケーション手段を発明したり(例:ギャル文字)、ウソも方便的なウソを平気で使ったりするのも、合理的な適応だ。
博報堂のマーケティングアナリストという立場なら、このように社会現象を、とりあえず表層的にとらえ、「空気を読む」という、日本人なら誰にでも分かりやすい切り口で分析して提示しておけばよい。
そして、そうした社会現象が起こった原因は、すべて携帯電話によるコミュニケーションの普及だ、というところで議論を打ち切り、それ以上、深く掘り下げないし、掘り下げる必要もない。
一方、宮台真司は社会学者なので、さらに掘り下げて、現代の若者の間で、携帯電話によるコミュニケーションが優位に立つ背景まで踏み込んでいる。
宮台真司の議論は、僕がヘタにまとめるよりも、実際に宮台氏の著書やエッセーを読んでいただくのがよいだろう。
宮台真司のような本格的な社会学的議論に踏み込む時間のない、いそがしい会社員が、手っ取り早く現代の若者のコミュニケーション形態や、メンタリティを理解するなら、原田曜平氏の著書は、ある程度までは有効と言える。