人間の尊厳を平気で無視するサラリーマンという生き物

サラリーマンとして仕事をしていて、社内打合せやベンダーとの会議でたびたび思うことがある。
それは「仕事だからって、そこまでは許されないだろう」ということだ。もちろん、職場で思ったことをそのまま口に出せば暗に不利な立場になるだけなので、口には出さないが。
仕事には責任がつきものだし、給料をもらっている以上、いい加減な仕事は許されないという主張はあるだろう。
しかし、相手の人格まで否定しかねないほど強い調子で、仕事のミスを詰問したり、ベンダーの弱い立場につけ込むことまで、自動的に許されるわけではないはずだ。
すべての人は会社員である前に一人の人間であり、別に給料と引き換えに一人の人間としての尊厳を捨ててまで仕事をしているわけではない。なので、職場で他人を精神的に追い詰める権利は誰にもないはずだ。
ところが、恫喝や恐喝まがいの口調で相手をなじって、自分の側に有利な条件を引き出そうとしたり、自分の立場を守ったりしようとする会社員は少なくない。
同じことを学校で生徒どうしが行えば、いじめとして問題になるはずだ。大人が会社で同じことをやっても、「それが給料をもらって仕事をする厳しさだ」という口実で許されるというのは、倫理的と言えるだろうか。
少なくとも感情的な言動は、不正やミスを隠蔽するなど、否定的な情報が組織内で流通するのを阻害する。結果として経営層が重大なリスクを早く発見することを妨げる。
そうした経済合理的な理由意外に、僕は個人的に、そうした会社員の行動を当然のこととして受け入れるのは倫理的な堕落だと考える。
こうした、経済合理性のみを規準として、人間の尊厳を軽視する価値観は、企業組織の外部にある社会全体にも、長期的にはかならず悪い影響をおよぼす。
まして、企業が人材育成や採用コストを組織の外部へ転嫁した結果、大学が就職予備校化しているなど、すでに企業の経済合理性最優先の価値観は、社会の他の部分を変質させている。
職場という空間は治外法権でも何でもない。基本的人権を認められた、まっとうな市民どうしが協力して仕事をする場所であって、仕事と引き換えに人間の尊厳を捨てなければいけない場所ではない。
こんな当たり前のことさえ通用しない空間で、毎日仕事をしている僕ら会社員は、近代市民として特殊な生活を送っているのだという自覚を、まず持つ必要があるだろう。