アニメ・マンガ・タバコ規制とギャンブル産業放置の矛盾

若宮健『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』(祥伝社新書)を読んだ。

正直いって、裏づけとなる統計資料に欠け、ルポとしての完成度は高くない。
逆に言えば、日本の一流のルポライターが、いかにパチンコ産業の問題を放置しているかの現れだと言える。
とりあえず日本と韓国を比較して、パチンコ・パチスロ産業の負の側面について、一定の認識をもつには、読んでおいた方がいい本だと言える。
本書では深く論じられていないが、韓国では2006年にパチンコが法律で全面禁止されながら、日本のパチンコ産業の大部分が在日朝鮮・韓国人によって担われている事実は興味深い。
もちろん在日の方々が、当初パチンコ産業に従事せざるを得なかった原因の一つは、日本における在日朝鮮・韓国人に対する差別にあるわけだが、結果的に在日差別にかっこうの口実を与える結果になっている。
ところで、石原都知事や橋下大阪府知事は、カジノを特区で合法化し、その誘致で海外からの観光客にお金を落としてもらおうとしている。
これはリバタリアニズム的な経済政策観にもとづいているのだろう。つまり、経済さえ活性化できれば、何をやってもいいということだ。
しかし、その同じ知事たちが、青少年健全育成条例ではアニメ・漫画だけを狙い撃ちして、自主規制ではなく、行政による販売規制をかけようとしている。
大人が、カッコつきの「自己責任」でカジノに溺れるのは、そのおかげで地域経済が活性化しさえすれば問題ない。
子供は、「自己責任」をとれないので、大人が有害・無害の判断をしてやらなければならない。
石原都知事や橋下府知事はそういう価値観を持っているのだろう。
大人は「自己責任」をとれるが、子供は「自己責任」をとれない、こういう考え方を仮に受け入れたとしよう。
それでもカジノの合法化や、パチンコ・パチスロの放置には、純粋に経済的な観点からも議論の余地が残るだろう。
つまり、競馬・競輪・競艇などの公営ギャンブルも含めて、ギャンブルは一国の経済発展にとって、プラスに働くのか、マイナスに働くのか、という問いである。
ギャンブルに対する消費が、個人の趣味嗜好による選択であるという点と、一定の依存性があるという点から、タバコの消費になぞらえることができるかもしれない。
喫煙者はタバコを消費することで、例えば短期的な業務効率が上がるかもしれないが、長期的には健康被害によって、企業と国家の医療費負担を増大させることになる。
また、喫煙者の発ガンのリスクが高まることで、長期的には国家の生産水準を下げることにもなる。
したがって、タバコの消費へ誘導するような広告はやめ、その代わりに、タバコのリスクを正しく伝える活動を、国家主導で行うというのは、一定の合理性がある。
では同じようなことが、どうしてギャンブルについてはできないのだろうか。
ギャンブル好きの人も、ギャンブルをすることでストレス発散になり、短期的には活動的になるかもしれない。
しかし、長期的には、本来、労働力の再生産、つまり、自分自身の医療費や家族の養育費などに向けるべきお金まで、ギャンブルにつぎこんでしまい、最悪の場合は生活困窮者となって、国家の生産水準を下げることになる。
ギャンブルをする全ての人に、生活費のうち一定の金額だけをギャンブルに割り当てるという節度を期待できれば問題ない。
ところが実際には、大量のテレビ広告や、ギャンブル産業のイメージアップ戦略など、タバコ産業では禁止されている広告活動が、なぜかギャンブル産業にはいまだに容認されている。
その広告活動のおかげで、ギャンブル人口のすそ野は広がり、たとえギャンブルで生活困窮者になる人の割合が一定だとしても、絶対数として見れば、ギャンブルにのめりこんで生活困窮者になる人口は確実に増える。
タバコ産業についてここまで規制を進めてきたのであれば、ギャンブル産業についても、少なくとも広告規制くらいは当然のこととして行うべきではないか。
それは、産業を規制する目的ではなく、「自己責任」能力のある大人の、適切な判断力を保護するためだ。
また、青少年健全育成条例の主旨が、子供の健全な育成に対して、大人は責任をもって環境をととのえるべきだというものなら、子供をもつ親がギャンブル依存で、養育費を負担できなくなるおそれのある状態を放置するのは、条例の主旨に反する。
青少年健全育成条例の主旨からしても、ギャンブル産業の広告や、出店について、少なくとも現状を放置するのは、一貫性を欠く。
なぜタバコ産業はこれだけ叩かれるのに、ギャンブル産業は自由放任されているのか。そう勘ぐりたくなるのは、上述の新書の筆者だけではないはずだ。
いずれにせよ、子どもの健全な育成という建前で、青少年健全育成条例を厳格化していたり、公共の場所での分煙化・禁煙化を推進している、その同じ行政の長が、ギャンブルを放置するどころか、誘致に積極的に動くのは、完全な矛盾だ、ということだけは言える。