「Life is beautiful」のAppleとAndroidに関する記事

AppleとAndroidについて興味深いブログ記事を見つけた。
「なぜ横並びで展示されるAndroidタブレットを作ってもだめなのか」(ブログ『Life is beautiful』2011/01/17の記事)
ターゲットや付加価値や差別化要素がはっきりしないAndroid携帯やAndroidタブレットを、各社横並びで作ってもだめで、iPhoneやiPadの優位性は変わらない、という主旨の記事だと理解した。
ハードウェアメーカーとしてのAppleの付加価値の優位性は、売上高より利益の絶対値を見れば分かる、というわけだ。
まったくその通りだと思う。
しかし、この『Life is beautiful』の記事の筆者は、ではなぜApple社がそれだけの付加価値の創出や差別化に成功したのかについて、適切に論じていない。
ヒットチャートに例えて言えば、このブログ『Life is beautiful』の筆者は、チャートで10位より下の曲には付加価値がないので、リリースする意味がないと言っているに等しい。
しかし、ヒットチャートが成立するのは、無数の失敗曲があるからこそだ。10位より下の曲がなければ、ヒットチャートのトップ10入りが「すばらしい」という世間的評価そのものが成り立たない。
PC事業で言えば、収益性で成功する企業があるのは、収益性で失敗した企業が無数に存在するからこそだ。仮に成功企業しか存在しない状態を是とするなら、世の中のすべての製品は独占状態におちいることになる。
なぜ、Apple社が付加価値の創出や差別化に成功したのか?
それは、他の一部のPCハードウェアメーカー(HPやDELL)が、Appleのマネをして、付加価値の創出や差別化を目指していてはAppleに対抗できないと判断し、オペレーションの効率性を目指すという、別の目標を採用したからだ。
さらに、その他すべてのPCメーカー、たとえば、すでにPC生産から撤退したIBMや、PC事業単体で利益を挙げられない日本メーカーが、そのような対抗戦略をとれず、ただ単に失敗したからだ。
当たり前のことだが、PC事業を全体として見たとき、成功した企業がいれば、必ず失敗した企業がいる。誰かの失敗がなければ、誰かの成功はありえない。
したがって、横並びのAndroidタブレットを作るべきではないと論じるのは、端的に間違っている。
逆に、各社は横並びのAndroidタブレットをどんどん作って、Androidタブレット市場の内側で、いったい何が勝敗を決める基準になるかをあぶり出すべきなのだ。
たとえば、僕はこの「愛と苦悩の日記」で、シャープの電子書籍端末「GALAPAGOS」や、NECの「Smartia」というAndroidタブレットを、けちょんけちょんに批判している。
これら製品のように、各社がさまざまなとんでもないAndroidタブレットを発売すればするほど、どうすれば成功し、どうすれば失敗するかが明らかになる。
結果として、何をやってはいけないかが分かり、Androidタブレット市場の内部で、何が優位性や高収益性につながるか、集団的な学習が進む。
そうすれば、PC市場で、最終的にDELLがオペレーションの効率性という一つの成功パターンを見出したように、Androidタブレット市場で、Apple製品に対抗できるビジネスモデルが見つかる。
それが競争による淘汰というものだ。
なので僕らは、上述のブログ『Life is beautiful』の筆者の言う「逃げ切りメンタリティ」に犯された日本のメーカーの経営陣が、ヘボい横並びAndroidタブレットをつぎつぎ発売するのを、大歓迎すべきなのだ。
と同時に、それらのタブレットを、具体的に、けちょんけちょんに批判することで、Androidタブレット市場の議論を活性化すべきなのだ。
もう一つ言えるのは、生産者側の理屈と、購買者側の理屈は違うという点を、上述のブログ『Life is beautiful』の筆者は見逃している。
確かに生産者側の立場で、Apple的価値観から見れば、Windowsパソコンなんてハードウェア的には横並びで陳腐な製品群かもしれない。
しかし、その陳腐さや個性のなさのおかげで、企業の購買担当者からすれば、納入業者をたがいに競争させて買い叩き、業務用パソコンの調達コストを抑えることができたわけだ。
もしこれが、横並びで比較できない、個性的なパソコンしか市場にないとなれば、どのパソコンを選択するかが、社内の業務プロセスや、取引先との情報のやりとりにまで影響をおよぼすことになる。
差別化要素がなく没個性的であることは、購入する側の企業にとっては、Apple製のパソコンに対する、まったく別の意味での「差別化要素」になっているのだ。
ブログ『Life is beautiful』の筆者は、ここまで深く考えていないのか、あえて浅薄な考えを披露することで議論を呼びこもうとしているのか。
いずれにせよ、ブログ『Life is beautiful』の筆者のAndroidタブレットに対する考え方は、個性を伸ばす教育を無条件に称賛し、そのような教育を成立させている環境的な条件を見ない、ナイーブな教育論を思い出させる。