児童ポルノ規制に興奮する首長の皆さん

石原都知事も、大阪の橋下知事も、児童ポルノに嫌悪感を抱くのは分かるのだが、その個人的な感情と、条例で規制してよいかどうかは全く別問題だということを、どうしてもっと冷静に考えられないのだろうか。
『児童ポルノ、水着写真も規制…大阪府条例改正へ』(読売オンライン 2010/11/26 17:36)
大阪府青少年問題協議会という団体が橋本知事に提出した答申は、児童ポルノ全般に関して「表現の自由の保証外」と指摘し、「水着姿の子供が過激なポーズを取るなどした写真や映像を新たに『性的虐待の記録』と定義し、製造・販売や所持しないよう努力義務として条例で規定する」よう求めているとのこと。
そして橋下知事は、「『性的虐待の記録』という定義づけには、目からウロコが落ちた」と述べたらしい。
性的虐待の記録という定義がお気に召したのは結構だが、本気でそう考え、本気で子供たちを児童ポルノという性的虐待から守りたいのなら、まずは製造を禁止・処罰する条例を徹底して施行すべきではないのか。
販売・所持を規制しても、製造業者がなくならない限り、児童ポルノが闇ルートで流通し続けるのは目に見えている。
それに、少数の製造業者と、多数の販売業者と、無数の所持者の、いずれを規制するのがもっとも効率的に児童ポルノを根絶できるか、誰が考えても明らかだろう。
児童ポルノの根絶に最も効果的な方法をあえて取らず、最も効果がない単純所持の規制にまでいきなり網を広げるのは、本来の児童ポルノ規制という目的と矛盾している。
石原都知事も橋下知事も、性的な表現物の規制となると、頭に血がのぼって効果のある政策選択ができなくなるようなのだ。
児童ポルノの愛好者が児童ポルノに興奮するのと同じように、首長が児童ポルノの規制に冷静さを失ってどうするのか。
これだけ冷静さを失ったまま表現の規制に手をつけられると、守られるべき表現の自由まで規制されかねない。最も効果的で、表現の自由を不当に制限しない冷静な政策立案を望む。