人間の性別は少なくとも64種類以上ありそう

人間の性別について、ときどき下らないことを考える。
人間の性別って、いくつあるだろうか?ということだ。浅田彰はかつて「N個の性」なんてことを言っていたらしいけれど、僕が思いついたのは、以下のパターンが限界。
(1)解剖学的な性
生殖器だけを見て、女性か男性かを分類する方法。先天的にどちらか区別がつかない方もいらっしゃるが、ここでは議論を単純化するために、あえてそうした場合は横に置いておくことにする。
(2)自己同一性としての性
自分で自分のことを、女性と思っているか、男性と思っているかで、女性か男性かを分類する方法。これは、突き詰めて考えれば考えるほど、自分が女性なのか男性なのか分からない、という人もいる可能性は高い。
そして、(1)と(2)が異なっている人たちのことを「性同一性障害」と呼んでいるようだが、この2つの軸だけではまだ足りないと思う。
(3)社会に対する性
自分以外の他者に、自分を女性と見て欲しいか、男性と見て欲しいかで、女性と男性を分類する方法。例えば、(1)の分類で男性にあたる人が女性の服装をしていれば、(3)では女性ということになる。
ここまでで、すでに8とおりの「性別」が存在することになる。
例えば、解剖学的には女性で、自分自身のことも女性と認識しており、社会的にも女性と見て欲しいという人は、一般的に言う「女性」になる。
ただ、次の4つめが入ってくると、とたんに話が複雑になる。
(4)恋愛対象についての性
恋愛対象とするのが、女性であるか男性であるかで分類する方法。これだけは自分自身の性別とは無関係に、恋愛の対象になる相手の性別にもとづく分類になる。
ただ、この恋愛対象が「女性」であるか「男性」であるかの分類そのものが、上述のように8とおりある。
なので、8×8で64とおりの「性別」が存在することになる。
例えば、解剖学的に女性で、自分自身のことも女性と認識しており、社会的にも女性に見て欲しい人が、解剖学的に女性で、自分自身のことも女性と認識しているが、社会的には男性に見て欲しい人しか恋愛対象にできないという場合、この女性を「レズビアン」と呼ぶのは適切だろうか。
別の例では、解剖学的に女性で、自分自身のことも女性と認識しており、社会的にも女性に見て欲しい人が、解剖学的に女性だが、自分自身のことを男性と認識しており、社会的にも男性に見て欲しい人しか恋愛対象にできない場合は、この女性は「普通」の異性愛者と言えるだろうか。
こうして考えてみると、人の性別において何が「普通」かなんて、かなり相対的な問題でしかないことが分かってくる。
例えば、解剖学的に男性だが、自分自身ことを女性と認識しており、社会的にも女性に見て欲しい人、つまり、俗に言う「オカマ」や「ニューハーフ」の方々が、解剖学的に男性で、自分自身のことも男性と認識しており、社会的にも男性と見て欲しい人、つまり、俗に言う「普通の男性」しか恋愛対象にできないケースなど、きわめて「普通」に思えてくるのだ。
僕は、これでもまだ、何か重要な分類軸を数え忘れているような気がするので、他にあればご教示ください。