中国のネット自殺事件の記事翻訳:男子大学生の遺書

中国で個人的に注目したいニュースがあった。ネットではいちばん早い報道、2010/10/22 06:38付けの杭州網のニュース(新聞『都市快報』の転載)を翻訳してみた。(誤訳があればご指摘お願い致します)
僕の感想は改めて書くことにする。他人事とは思えない、中国の1990年代生まれの若者の考え方を感じ取って頂ければと思う。最後には自殺を既遂した藩君の遺書が掲載されている。
なお「QQ群」というのは、中国で有名なQQというチャットソフトのグループ・チャット機能で、テーマ別にユーザが自らチャットルームを開設し、他のユーザも自由に参加できるサービスのことだ。
「二人の若者がQQ群で約束して自殺 死亡した若者の両親が監督不足で騰訊を訴える」(2010/10/22 06:38)
QQを通じて2人の若者が自殺を合意。炭を燃やして一酸化炭素中毒自殺をはかるも、1人は未遂、1人は死亡した。
死亡した若者の両親が、未遂の若者と、QQを運営する騰訊を相手に、28万元(約340万円)賠償金を求める訴訟を起こした。
弁護士は両親に対し、類似の裁判は前例がなく、関連法規も不明確なため、勝訴の確率は低く、賠償金を一銭も得られず、訴訟費用だけを負担するおそれもあると強調。
しかし両親は、お金のためではなく、まだ生きている子供たちのためとして、訴訟を断行。彼らは訴状の中で「子供たちを救って!!!」と述べている。
昨日午前(2010/10/21午前)麗水市蓮都裁判所は、本件を新しいタイプの民事案件として審理した。
法廷弁論1 合意自殺
原告
22歳の張君は「死亡QQ群」(チャットソフト上のチャットグループの名称)に携帯電話番号とともに、自殺の誘いを発信。
2010/06/22、上海の大学に通う20歳の藩君はこれを見て、張君に連絡、列車で張君の住む麗水に行き、2010/06/24麗水の某ホテルで木炭を燃やして自殺をはかる。
張君は苦痛に耐えかねて自殺行為を途中で放棄し、一人ホテルを出た。
原告弁護人は法廷で、藩君が事前に自殺念慮を持っていたことを否認しなかった。藩君がQQ群で自殺したいと書き、自殺方法について話し合ったのは、単なる空論ではなかった。しかし、張君は自分の電話番号を書き留め、方法を具体化し、明らかに主導的に行動した。
張君の誘いを受けなければ、藩君は一人で麗水に行っても、自殺用の木炭を買う場所、皿、アルコールなどの工具を自分で買う方法を知らず、そもそも自殺できなかったはずだ。
被告
被告弁護人は、藩君の方が更に主導的だったと述べた。
藩君は自ら張君に電話をかけ、張君に上海まで来て自殺しようと誘ったが、張君が「遠くて費用がかかり過ぎる」と拒否されたため、自ら麗水に行った。
麗水へ行く途中、張君に何度もショートメールを送ったが、張君は多くを語らず、ただ「駅で待ってる」と言っただけだが、藩君は自殺の準備の状況を張君に質問しつづけていた。
藩君は麗水に着いた後、二人でチェックインし、二人でスーパーマーケットに自殺用具を買いに行った。二人は決して主従関係になかった。
しかも藩君のQQチャット記録によれば、藩君は2010/06/08に既に自殺念慮を持ち始めていることが分かり、しかも多くのQQ群で自殺の誘いを発信している。2010/06/23、藩君はQQ上のハンドルネームを「亢龍有悔」から「向往冥界」に変更し、自殺願望を強く表現している。彼は張君と偶然出会ったに過ぎず、彼の自殺念慮の方が、張君より大きかった。
法廷弁論2 相手の自殺行為を阻止したか否か
被告
張君は午後5時頃ホテルの部屋を出て、夜8~9時頃まで、ずっと藩君とショートメールで連絡をとり続けた。部屋を出る前、張君は水をかけて皿の木炭を消火し、藩君をトイレから引きずりだそうとした。
藩君が送信した最後のショートメールは次のとおり。「聞いて。8時前に木炭とアルコールを持って来なければ、警察に通報する、お金がないし、耳鳴りがする、生きることも死ぬこともできない、見てて」
このショートメッセージを読んで、張君は、当時ホテルの部屋の中のアルコールと木炭が不足しており、藩君の自殺の可能性はもうなくなったと思った。
かつ当日夜10時52分、張君は藩君に電話するが誰も出ず、すぐにホテルのフロントに電話し、人が自殺した可能性があると告げた。
ホテル従業員が部屋に着くと、部屋は外から施錠され、トイレの隙間がテープで目張りされているのを発見し、張君が部屋を出た後、藩君が二度目の目張りをし、二度目の自殺行為に及んだと説明した。
原告
同じく最後のショートメッセージについて、原告弁護人も、藩君の自殺の決心がやはり堅かったことが分かると解釈した。
藩君が何度も電話をし、ショートメールで張君に部屋に帰って一緒に自殺を続けるよう要求した。張君はホテルを出て2時間後、既に自殺の意思がなく、藩君の自殺を阻止するつもりだったが、藩君の自殺を防止する有効な措置をまだ取れなかった。
最終的に藩君の自殺を成功させた道具は、木炭、アルコール等で、すべて張君と藩君が一緒に購入したものだ。
藩君は張君の幇助の下、自殺に成功した。
法廷弁論3 騰訊に「監督不足」の責任があるか否か
被告
昨日騰訊から出廷したのは、同社法務部の社員2名。
彼らは次のように語った。QQはリアルタイムのポイント・トゥー・ポイント・チャットソフトで、現在約5億ユーザと、膨大な量の情報を有し、当社にコントロール能力はなく、ユーザが発信したメッセージをリアルタイムに審査することは難しい。かつ、違法な情報についてのみ、遮断する義務を有する。
「自殺」という言葉は、ニュートラルな言葉であり、あらゆる刑事事件やテレビドラマに出てくるため、遮断することはできない。
原告
原告弁護人は、公開QQ群は誰でも参加でき、ポイント・トゥー・ポイントとは言えず、騰訊はQQ群サービス開始後、危険で有害な情報をコントロールする能力も義務も有する。彼らはコストをかけてコントロールの任務を強化しなかっただけである。
弁護人の主張
合意自殺の蔓延を防止する法規を整備すべき
昨日(2010/10/21)の審理には、張君も藩君の両親も出廷しなかった。
張君が出廷しなかったのは、精神的に非常に不安定であり、その後すぐに再度自殺未遂したためだ。
実際、藩君と合意自殺する前、張君は一人で二度自殺未遂している。うち一回は母親に見つかって阻止された。
昨日(2010/10/21)、都市快報の記者が張君の母親に連絡したところ、しばしの沈黙の後、泣きながら語った。「今は天にすがっても、地にすがっても、誰も助けてくれないんです。分かりますか?」
藩君の実母と継父はメディアを避けている。原告弁護人によれば、原告の家庭状況は比較的裕福なため、今回の訴訟の勝敗は、金銭のためではないとのこと。藩君の父親は、張君の誘いがなければ、自分の子は死ぬことはなかったと、ずっと思っている。我が子のことなので、彼らはネットのあちこちを調べ、ネット上に「合意自殺」の情報が非常に多いことに気づいている。
張君の両親のために、原告弁護人は今回の訴訟を通じて、社会と法曹界に以下のように主張することを決心した。
「現在ネット上で流行している「合意自殺」は、日本や韓国などで既に法律が整備されている。我々がこの勢力の蔓延を許せば、何人の子どもがさらに死んでいくか分からない。藩君が亡くなる一か月前にも、麗水では2人の子どもが合意自殺で亡くなっている!」
1990年代以降生まれ世代の自殺の軌跡
藩君は自殺する前、上海海事大学法学部一年生で、家庭環境は良く、外見も良かった。
このような世間の目には快適な生活を送っている子どもが、なぜ死にたいという決意を堅くしてしまうのか?
彼を産んだ両親は離婚したが、継父との関係は良好だった。継父は自分の実子より藩君に良くしていたという。藩君の遺書も継父にあてて、彼の惜しみない愛に対する感謝が書かれていた。
彼の両親の心の中では、彼は良い子であり、自分の子どもが以前から自殺念慮を持っているなどと思いもしなかった。
彼は一体なぜ自殺したいと思ったのか?藩君はもう答えられない。
しかし、彼は遺書を残し、人生最後の日に、合意自殺をした張君と少しおしゃべりもした……
張君の供述
ホテルの部屋に戻った後、僕らは火の着いた木炭の皿をトイレに運び入れ、透明なテープでトイレの目張りをした後、トイレで食事しながらしゃべって、死の時が来るのを待ちました。
彼が自殺したいと思った原因は、僕と同じで、自分が取るに足りないものに思えたことです。
彼は言いました。もともと中学の時、彼女がいたけれど、その後別れた。彼女は同済大学に合格し、彼も同済大学と交通大学を目指していたけれど、どちらも不合格で、自分が彼女に釣り合わないと思った。彼は失語症ぎみで、人とあまり仲良くできないと言っていました……
でもしばらくすると、僕は呼吸困難になって、喉が熱くて苦しくなり、頭が激しくズキズキして、それでトイレのドアを開けて言ったんです、「僕らは自殺しちゃいけない、体がもたない」って。
彼は首を横に振って、便器にもたれたまま同意しませんでした。僕は彼をトイレから部屋の床の上に引きずり出して、皿の中で燃えている木炭を水をかけて消しました。
彼は僕に言いました。「なぜ僕を助け出すんだ、僕に死ぬ権利をくれないのか」と。
僕は言いました。「君は大都市に生活して、良い学校に通い、外見も良い、良いことじゃないか。僕も出てこられた。君を死なせたくない」
でも彼は言ったんです。「それなら生きて帰るがいいさ、もう会えないだろう」
僕が彼になぜ会えないのかと尋ねると、彼は言いました。彼は学校から一日しか休みをもらっていない。今帰っても、金曜日も講義に出なければ、教授たちに分かってしまう。僕は、じゃあなぜ最初から週末にしなかったんだと言いました。すると彼は、週末は内に帰らなきゃいけないからだ、と言いました。
およそ半時間経つと、彼は私にもう一度死なせてくれと言い、僕は恐くなって、逃げ出しました。
木炭とアルコールを持ってきて欲しいという、彼のショートメッセージを受信しましたが、僕は戻りませんでした。その後、彼は僕に電話してきて、ショートメッセージを受信したか聞いてきました。僕は話をしませんでした。彼は「僕を一生恨むといい」と言ったまま電話を切りました。
僕はその時、警察に通報することを全く考えつきませんでした。電話で彼を励ませばいいと思っていました。
藩君の遺書
「母さん、本当にごめんなさい。混乱させてしまうけれど、でもこれ以上生きても、本当に重荷なんです。母さん父さんの献身と期待に釣り合いません。上海に行って、甘やかされることに慣れてしまって、昔の鋭気を無くしてしまいました。
J(以前の彼女と推測される)、ありがとう。僕は本当に君の重荷になりたくない。僕のことは忘れな。高校のとき、僕が交通大学への”突撃”を選んで以来、僕は君に釣り合わなくなってしまった。
Lおじさん、あなたをお父さんと呼ばなかった僕を許してください。あなたの無償の愛に感謝しています。でも、あなたは本当に僕にはもったいなすぎました。
藩家のみなさん、ごめんなさい。僕はついに自立することができず、結果的に逃げることを選びました。小さい頃から大きくなるまで、僕の教育に対して、一つ一つアドバイスをくれました。僕はまともな価値観も持てないまま、自分がもう子供に戻れないことを知るだけでした。その結果、大叔母さんの後を追う決心をしました。仕方ありません。僕の頭の中にもずっと、あの大叔母さんのような陰鬱な考えがあるんです。
人生は実際にはペテンで、最後の最後に、一番重要なことが、全ていちばんどうでもいいことに変わってしまい、何もかもがなし崩しのこの時代に、僕は自分の価値観も見出せず、自分の信仰も見出せず、魂も失い、ただの腰抜けになってしまいました。これでは前途は暗澹たるものになる運命と決まっているんです。」