犬の肉(狗肉)を食べるのは悪か?

名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議、略称COP10が開催されている。
それに関連してというわけではないが、最近、中国大陸のTwitterに似たマイクロブログ「新浪微博」上で、中国国内で犬を食べる習慣があるのを非難するつぶやきをよく見かける。
「狗肉」(犬の肉)で全文検索すると、2010/10/19現在、49,914個のつぶやきが見つかるが、ざっと見た感じ、ほとんどが犬の肉を食べるのに反対する内容のようだ。
「犬の肉を食べるなんてとんでもない、中国人は野蛮だ」と思う日本人も多いかもしれないが、日本人も同じような問題で世界から非難されていることを忘れてはいけない。
言うまでもなく、クジラとイルカの肉を食べる習慣についてだ。
クジラやイルカを食べる習慣を、日本の伝統的な食習慣として弁護したいなら、中国の一部で犬の肉を食べるのも、伝統的な食習慣として認めてもいいはずだ。
まして生物多様性保護の観点からすれば、犬を食べる習慣よりも、クジラやイルカを食べる習慣の方が、国際世論では確実に分が悪い。
統計的にクジラやイルカの方が絶滅のリスクが高いかどうかまで調べる時間はないが、地球上から犬が絶滅するより、クジラやイルカが絶滅する方が早いに違いない。
僕個人の考え方は、生物多様性を脅かさないなら、文化の多様性は保護されるべき、というものだ。したがって、中国の一部で狗肉を食べることに何ら問題はないと考える。
むしろ、狗肉を食べるのが悪くて、豚肉・牛肉・熊肉・鹿肉などを食べるのは問題ないと考えている人から、合理的な説明を聞きたい。
中国の「新浪微博」上では、「可愛い犬を食べないで」「犬がかわいそう」という感情論の域を出ない、稚拙な意見が多すぎて話にならない。
それとも、世界中が欧米的な価値観を真似する必要があるとでも言うのだろうか。
たまたま欧米諸国で、犬やクジラやイルカを食べる習慣がないからといって、世界の他の地域でそれらの食肉をやめる理由には全くならない。
先日この「愛と苦悩の日記」で取り上げた、姦通罪で石打の刑を言い渡されたイランの女性についても、同じことが言える。
イスラム教には独自の伝統文化があり、それにもとづいて運用されている法制度を、他国の人間が非人道的だと非難するのは、文化多様性の否定だ。
フランスが2010/09/14に、フランス国内の公共の場所でイスラムの女性が全身を覆う衣装を身につけることを禁止する法案を可決した。
これも文化多様性の否定ではないかという反論があるかもしれないが、それは違う。現代のように、国家を単位に法制度がつくられていることを前提とすれば、強力な統合政策というのもまた、フランスという国の伝統だ。
フランス国内だけに有効な法律なら、イスラムの伝統衣装の着用を法律で禁止することに問題はない。ましてこの法律には「公共の場所では禁止」という限定がついている。
もちろん多くのフランス人が、石打の刑を言い渡したイランを非難し、多くの中国人タレントもこれに賛同したが、これは明らかに単なる「イスラム嫌い」であり、文化多様性の否定だ。
「犬がかわいそう」とか「イスラム教は野蛮だ」という感情論にとどまっている限り、異なる文化的背景を持っている人たち、ここでは狗肉を食べる習慣のある人々や、イスラム教徒に対して、何の説得力もない。
そして異なる文化的背景をもつ国家どうしの価値観の衝突を調停するには、関係国すべての要求が、ある程度満たされる妥協点を見つけるしかない。
無条件に全世界に通用する価値観など存在するわけがないのだ。
「地球温暖化」や、「生物多様性」、「核なき世界」などといった価値観も同じで、これらの価値観が国家ごとの利害関係ぬきに、無条件に良いこととして世界中に通用すると考えるのは、おめでたすぎる。
これを、「ジョン・レノン的おめでたさ」とでも名づけておきたい。
ジョン・レノンの『イマジン』の歌詞が無条件に正しいとあなたが考えているとすれば、それは単に日本が西側先進国だからというだけのことだ。
(その意味で、中華圏のアーティストが欧米文化の影響を受けて、感情的なイスラム嫌いになるのは仕方ないのかもしれない)
少なくとも「犬がかわいそう」とか、「イスラム教は何となく嫌い」とか、「国は存在しないって想像してみて」といったレベルの議論は、現実の文化多様性の前に完全に無力だということを、まず認識すべきだろう。