日経ビジネスオンライン連載コラム『「オトコらしくない」から、うまくいく』の感想

またまた日経ビジネスオンラインの連載コラムの感想を書いてみたい。
『「オトコらしくない」から、うまくいく』(清野由美)
この連載コラムの2010/09/15から始まった鼎談編についてだ。
鼎談編の主旨をひとことで言うと、日本の高度成長期時代の仕事のしかたから脱して、仕事と私生活のバランスのとれた人生を送ろうという、最近よく目にするが決して日本企業で主流になれない主張である。
まずこの鼎談に登場する佐々木常夫という方は、東大経済学部卒で、病気の妻と自閉症の長男をお持ちでありながら、たぐいまれな努力によって同期トップで東レ取締役に就任された、スーパーマンだ。
最初に身も蓋もない僕の結論を書いてしまうと、凡人が定時で帰宅し、長期の育児休暇をとれるように、社会のしくみそのものを変えない限り、このコラムも佐々木常夫氏のような、限られたエリートの成功物語でしかない、ということだ。
言ってみれば、佐々木常夫氏は非常に有能な「男前」であり「男らしい」会社員なのだ。だからこそ、ほぼ定時に帰宅しつつも、取締役になるという離れわざをやってのけた。
これほどの特殊事例を取り上げて、ごくフツーの男性会社員も「オトコらしくない」働き方をしましょうと訴えても、何の説得力もない。
また、この連載コラムで、もはや高度成長期時代の働き方は無効で、「オトコらしくない」働き方に変えていく必要がある理由として、たびたび出てくるのが、グローバル化という、これもまた耳にたこができるほど聴き飽きた論の展開だ。
もちろんここでいうグローバル化とは、決して台湾のエイサーのように残業代歓迎のグローバル企業も、自宅に仕事を持ち込んで24時間仕事をしている米国の管理職層も含まれない。
仕事と私生活のバランスを実現している、欧州の高学歴ホワイトカラーという、ごく限定された労働者を想定していると思われる。
たとえばこの連載コラムでは、日本の文脈依存度の高い意思疎通、つまり「あ・うんの呼吸」に頼る意思疎通が、旧時代の仕事のしかたを変えられない原因とされている。
僕も昔はそう考えていたが、これは完全に誤っている。
文脈依存度の低い仕事のスタイルは、社員の出入りが激しい、つまり、流動性が高い労働市場の結果でもあり、原因にもなっている。
しかも日本で労働力の流動性が低いのは、大企業の正社員に限られる。語弊を恐れずに言えば、一部のエリート労働者の特権である。
中小企業の正社員や、非正規雇用者、いわゆるブルーカラーは、流動性の低さという日本の労働市場の「恩恵」を受けることさえなく、結果として文脈依存度の高い職場の「恩恵」を受けることもなかった。
このように日本の労働市場をマクロに眺めると、「日本人の仕事のしかたは文脈依存度が高い(ハイ・コンテクスト)からダメだ」という議論に、参加することさえできない労働者が、いまや過半を占めているのだ。
仮にこの連載コラムが主張するように、日本人の仕事のしかたを文脈依存度の低い(ロー・コンテクストな)ものに変えたいなら、会社が正社員のクビを切りやすく、かつ、クビを切られた正社員の再就職のチャンスが十分に保証された労働市場を、日本に作り出す必要がある。
しかし、労働市場の流動化は、第二次橋本内閣から小泉・竹中路線に引き継がれた、規制緩和・構造改革の目玉の一つだった。
その結果がどうなったかは、今の日本の労働市場をご覧になれば明らかだ。
日本の社会そのものが、文脈依存度が高い、つまり、明文化されたルールより、均質的な集団による合意形成を重んじる社会である。
にもかかわらず、そこへ文脈依存度の低いアングロサクソン型の労働市場の流動化を、無理やり接木してしまうと、正規雇用者の既得権は温存され、流動化のしわ寄せは、すべて労働弱者(能力の低い正規雇用者や非正規雇用者)に行ってしまう。
この連載コラムで批判されている、効率の悪い日本のホワイトカラーの仕事のしかたは、実際には労働弱者にとってのセーフティーネットの役割を果たしてきた。
というより、高度成長期時代の日本は、本来は地域社会が担うべきセーフティーネットの役割を、すべて企業が肩代わりしてきた。文脈依存度の高い仕事のやり方は、そうしたしくみの構成要素の一つに過ぎない。
その意味で、この『「オトコらしくない」から、うまくいく』という連載コラムは、言ってみればエリートの与太話ということになる。
新興国との競争で、一層の人件費削減を目指さざるを得ない日本企業で、いつ正規雇用の「特権」からあぶれるかもしれない会社員、そして、すでにその「特権」からあぶれているワーキングプア、そもそも就職さえできない学生や既卒者。
こうした人たちにとって、文脈依存度の低い仕事のしかただの、定時に帰宅する効率のよい仕事だのといったことは、一部の「特権階級」の茶飲み話にしか聞こえないに違いない。
少なくとも血眼になって正社員としての就職先を探している学生や既卒者は、『日経ビジネスオンライン』の熱心な読者である可能性が高いが、彼らはこんな連載コラムを読まされて、うらやましいと、ただため息をつくことしかできないだろう。