検察の暴走を止めるのは主権者である国民の責任なのに

厚労省の村木元局長、やはり無罪だった。彼女が逮捕されたとき、「愛と苦悩の日記」で僕はこんなことを書いていた。
「舛添厚労相、村木容疑者をもう有罪扱い」
当時の僕は、逮捕され、まだ起訴されるかどうかも決まっていない段階で、当時の舛添厚労相が村木元局長を有罪あつかいしたのだと思い込んでした。
ところが、実際には舛添要一氏は、この逮捕の妥当性を疑うという意味で、この発言をしていたようなのだ。
2010/03/01の外国特派員協会での記者会見で、舛添要一氏はジャーナリストの江川紹子氏から村木元局長の裁判について質問され、「個人的に」と前置きした上で「無実と思う」と話していたという。
これは江川紹子氏のTwitter(ツイッター)でのみ流れた情報で、マスコミはこの舛添要一氏の重要な発言を完全に無視した。つまり、検察の誤った捜査に加担し続けた。
そもそも検察の無謬性という神話を、国民の大多数が頭から信じ込んでいる日本の現状が異常なのだ。小沢一郎氏の件にしても、殆どの国民はもう小沢氏が政治資金規正法に違反しているという前提で、物を考えている。
いい加減、検察の信用度には一定の限界があり、一度暴走すると誰もそれを止められず冤罪を生じさせるおそれがある、その恐さを、日本国民はよく認識する方がよい。