イランのサキネさんの死刑に日本人や中国人は反対する資格があるか?

死刑のお話。日本人が他国の死刑執行について意見する資格があるのか、ということについて。
中国のTwitter(ツイッター)にあたるマイクロブログサービス「新浪微博」で、中国の有名女性歌手・女優をフォローしていると、ときどき同じニュースに別の人が同時に意見するので面白い。
実際には彼女らが同一人物をフォローしているだけなのだが、ついさっきも、イランで姦通罪で石打ちによる死刑を宣告されている、サキネという女性を助けようという署名活動を、レネ・リウ(劉若英)と小S(徐熙娣)の二人が同時に訴えていた。
ただ、この署名活動のウェブページはフランス発で、フランスではすでに死刑が廃止されている。レネ・リウと小Sの活動の本拠地である台湾は、日本と同様、死刑制度が存在している。
現に台湾では、死刑反対論の法相が、世論の批判をあび、総統からも見放されて辞任に追い込まれるということが、つい最近、2010/03に起こっている。
「死刑反対論の台湾法相が辞任 世論から批判」(朝日新聞)
日本でも最近、政権交代後に初めて2名の死刑囚の死刑が執行された。
ここからは僕個人の意見だが、姦通罪が死刑に価するかどうかは、純粋に各国の文化、価値観の問題である。イランはたまたまイスラムの宗教国家で、国家制度がイスラム教の考え方を基礎にして作られているのだろう。
死刑の手段の残虐性も、各国の文化や価値観による相対的なものだ。首まで地面に埋めて石で頭を叩く死刑と、日本で行われている絞首刑と、米国で主流となっているらしい薬物注射による死刑の、どれが最も残虐か、などと問うことはほぼ無意味だ。最終的には殺すのだから。
そうした各国の文化や価値観にまで、他国の国民が口を突っ込む資格はない。
しかし、今回のイランの件では、フランスはサキネさんの死刑に反対する資格がある。何故ならフランスは死刑制度そのものをすでに廃止しているからだ。
別の言い方をすれば、フランス政府やフランス国民は、イスラム教の考え方や価値観を批判することなく、イランに死刑制度が存在すること自体を批判することができるし、そのようにイスラムの考え方を批判せず、死刑制度の存在自体を問題にする方法で批判すべきである。
死刑制度が存在する中国・台湾や日本の国民は、残念ながらイランのサキネさんの石打による死刑について、個人として死刑廃止論者でない限り、反対することは出来ないはずだ。
僕は個人として死刑廃止論者なので、もちろんサキネさんの死刑にも反対する。同時に日本政府も一刻も早く死刑を廃止すべきだと考える。
僕が死刑廃止論者である理由は、死刑は一度執行したら取り返しのつかない刑罰なので、国家が国民を裁く司法において、国家が決して持ってはいけない「過剰な」権力だと考えるからだ。
今回の件についても、レネ・リウと小Sに、「中国・台湾の死刑制度についてはどう思いますか」と聞いてみたい気がする。
でも実際にそんなことを中国大陸にサーバーのある新浪微博でつぶやこうものなら、僕の新浪微博アカウントが知らない間にどうなってしまうか、予測もつかないので、やめておくことにする(汗)。
(※追記:あっ、ビビアン・スーも、フィッシュ・リョンも、イランのサキネさんの死刑反対署名を呼びかけた。。。汗)