育児は母親の本能という迷信をいまだに口にする人々

大阪市西区で育児放棄して子供2人を死なせた23歳の母親が逮捕された件。連日マスコミで話題にされている。
しかし、今日のTBSラジオ『デイ・キャッチ』の近藤勝重氏(毎日新聞専門編集委員)をはじめ、いまだに育児は母親(女性)の本能であるという迷信を、堂々と論じる男性がいるのは時代錯誤もはなはだしい。
こういう手合いの年配男性は、多くの場合、イヌやネコは誰に言われなくても、産んだ子供を育てるだろと、動物の例を出して、人間の女性から「母性本能」が失われてしまったことを嘆く。
逆に言えば、いまだに育児が女性の本能だと信じている、こういう年配の男性たちが、社会の実質的なルールを作り、運用しているからこそ、いつまでたっても育児の社会化が進まないのではないか。
たとえば「子ども手当」。子供のいない人間が、なぜ子供のいる家庭のために自分の税金を使われるのかと不満をこぼす人たちは、「子ども手当」の主旨、社会全体で子供を育てましょうという主旨を理解していない。
「子ども手当」の背景にあるのは、小泉・竹中路線の「自己責任論にもとづく新自由主義」がもたらした、日本の地域社会の崩壊だ。
昔のように、おせっかいな近所のおじさん、おばさんたちが、頼まれなくても若い夫婦の育児に協力するといった地域社会の信頼関係は崩壊している。
地方から都会に出た労働者の、最後の逃げ場だった地方の地域社会の自営業の崩壊(大規模店舗の地方進出)と、都市部・工業地帯における非正規雇用の拡大が、地方においても、都市部・工業地帯においても、地域社会の人々から、すすんでお互いに助けあう余裕を奪った。
映画『三丁目の夕日』を観ながら、地域社会の信頼関係ベースの人間関係が残っていた時代をいくら懐かしんでも、それをそのまま復活させることは、もはや不可能。
したがってそれに代わる「育児のセーフティーネット」を国が用意せざるを得ない。その一つが金銭的な支援としての「子ども手当」だ。民主党政権は小泉政権時代の「セーフティーネットなき自己責任論」にもとづく、さまざまな政策のツケを払わされている。
何だかこういうことを書いていても、ただ虚しくなってくるだけだが、いずれにせよ今の日本社会には育児の社会化を進めるしか有効な手立てがなく、個別のケースで第三者が当事者である両親を非難しても、全く生産的ではないということだ。