上野玲『うつは薬では治らない』(文春新書)の主張に疑問(1)

上野玲『うつは薬では治らない』(文春新書)は読む価値がない。

本書の内容をひとことで要約すると、以下のようになる。
「うつ病」は製薬会社が薬を売るために、神経科医と共謀してでっち上げた病気であり、実際にはひとくちに「うつ病」と言っても、百人百様で、ひとくくりにはできない。
こういう理屈で書かれた本は他にもたくさんあるが、根本的に矛盾している。
人間はいろいろな現象の中から、共通点を見つけ出して、一つの言葉で表現する。それによって、複雑な世界を「概念」で整理し、はじめて解決法を見つけることができる。
「新自由主義」「ドップラー効果」「サブプライム」「平均律」「少子化」「弁証法」などなど、世の中の複雑な現象を、一つの言葉で表現することで、問題としてあつかいやすくなるのだ。
「うつ病」という言葉もその一つだ。
上野玲という人が「うつ病」について本を書くことができるのも、すでに世の中に「うつ病」という言葉で概念化された現象があるからこそである。
もちろん概念化には悪いところもある。微妙な違いをある程度無視して、一つの「概念」にくくってしまうからだ。それによって犠牲になるものがある。
しかしその犠牲を払っても、共通点のある現象を一つにくくって「概念」にすることで、問題化し、解決法を見つけることで得られる利益の方が大きい。だからこそ人類は過去数千年にわたって、概念化の努力を続けてきたのだ。
そういった「概念化」の努力を批判するいちばんかんたんで卑怯な方法は、「百人百様なのだから概念化自体が間違っている」という方法だ。
上野玲が本書で「うつ病」という概念を批判するのに使っている方法は、まさにこのいちばん簡単で卑怯な方法である。
たしかに「うつ病」は患者によって症状の重さも、治る速さも、薬の効き方も、百人いれば百通りだ。
それでも、それらの患者に共通点が見つかったからこそ、精神医学はそれを「うつ病」と名づけて概念化し、概念化することで初めて、さまざまな治療法を考えることができるようになった。

そうした「うつ病」の概念化と治療の努力の歴史に対して、「うつ病は百人百様で一人ひとり努力するしかない」というのは、うつ病という概念が発見される前の世界にもどろう、と言ってるに等しい。
上野玲が本気でそう考えているなら、上野玲の「うつ病」についての本はそもそも成立しないことになる。
だって、上野玲自身が、うつ病という概念が発見され、病気として認識される前の世界にもどろうと主張しているのだから。
こういう論法が許されるなら、世の中のありとあらゆる概念化されたものを、簡単な方法で批判することがいくらでもできる。
たとえば、新自由主義を批判するために、「そもそも新自由主義などというものは存在せず、多種多様な経済行動があるだけだ」とか、平均律を論じるにあたって、「平均律などというものを発明したことで、音楽の自由が制限された」などなど。
同じロジックを使うと、世の中のありとあらゆることをネタに批判書が書ける。なるほど上野玲がジャーナリストというのはうなずける。このロジックを使う限り、本を書くネタさがしに困ることはない。
以上のように、この『うつは薬では治らない』という書物は、自分が批判の対象としている概念に頼っているという点で、根本的に矛盾しており、「うつ病」批判としてほぼ無意味な書物だ。
なぜなら本書は、極論すれば「うつ病なんて存在しない」ということ以外に、何も書かれていないからである。
(つづく)
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