勝間和代・広瀬香美『つながる力 ツイッターは「つながり」の何を変えるの?』の名誉白人感覚

勝間和代・広瀬香美『つながる力~ツイッターは「つながり」の何を変えるの?』の古書をアマゾンで購入して、1時間弱で完読した。

梅田望夫の『ウェブ進化論』と同じように、ここで数回に分けて内容を徹底批判しようと思ったが、それに価することは書かれておらず、単にお金のムダだった。
なぜ他のウェブ上のサービスではなくツイッターなのかについては、結局、何も書かれていなかった。
ツイッターというサービス自体も、ツイッターの利用者も、今のところ単に先行者利益を享受しているだけのこと。ツイッターも早晩、陳腐化する。
例えば、冒頭部分で勝間和代が挙げているツイッターの3つの特徴、「手軽さ」「リアルタイム性」「つながりのゆるさ」は、ブログが、それまでの手作りのホームページに対して持つ特徴でもある。
たまたまこの3つの特徴に、ブログより適したユーザーインターフェースが登場しただけの話で、この3つの特徴は、ツイッターの本質的差異ではない。
ところで、話は勝間和代からそれるが、途中に、東浩紀による、ツイッターを使えば直接民主制が実現できるという議論の引用があった。初耳だったが、これは梅田望夫の『ウェブ進化論』よりバカげた議論だ。
ツイッターに限らず、ネットで確実な本人認証をするのは、技術的にではなく、人間的要因によりほぼ不可能で、架空のアカウントと実在の人物のアカウントの識別はできない。ネット上での詐称方法は無数に存在する。直接民主制など飛躍もいいところだ。
勝間和代に話をもどす。「ツイッターは人の善意を引き出すメディア」という論点も、ツイッターに限られるものではない。
本書にもツイッターの認証アカウント制度の話が出てくるのだが、ツイッターを語る人々が、なぜいちいち「本人性」にこだわるのか、僕にはさっぱり分からない。
例えばこのブログ「愛と苦悩の日記」も、3人が交代で書いている可能性もある。芸能人のツイッターも代わりにマネージャーがつぶやくかもしれない。
電子メールでさえ、内容を書いたのが、受信者の期待する本人である保証は全くない。(『ロンドンハーツ』の「マジックメール」を知っている人は、よく分かるよね)
ネットに限らず、電話も含めて(オレオレ詐欺がなぜ成立するか考えてみよう)、非対面のコミュニケーションである限り、相手の本人性を保証するものは何もない。
なので、ツイッターについて「本人性」にこだわる議論自体が完全にナンセンスなのだ。むしろ自分の物理的な身の安全を守る意味で、匿名によるコミュニケーションを行う権利も、あえて選択肢として残すべきである。
逆に、ネットによるコミュニケーションは、匿名性が許されたからこそ、ここまで普及したのではないのか。
そこへ認証アカウント制度を持ち込み、ネットを「強制的に」人の「善意」「だけ」を引き出すメディアにすることは、結果的に特定の価値観による「全体主義」をネットに持ち込むことになる。
その一つの雄弁な証拠が、梅田望夫の『ウェブ進化論』も、勝間和代の本書も、ほぼアメリカしか眼中にない点である。
中国には「新浪微博」というツイッターより高機能なウェブインターフェースをもつ、ツイッターと同じサービスがあり、中華圏の数百万人が利用している。
勝間和代は日本でのツイッターの普及速度について、本書の各所ですごいすごいと騒いでいるが、日本のすぐそばに広がる、中国大陸、台湾、シンガポール、マレーシアなどの広大な中華圏の「新浪微博」は、完全に無視だ。
梅田望夫もしかり、勝間和代もしかり。ツイッターのような新しいネット上のサービスを紹介し、情報の非対称性を利用した「サヤ取り」で稼いでいる論者に共通するのは、究極のところ「名誉白人」感覚に過ぎないのだ。
主にアメリカ発のサービスを礼賛し、日本でそれが普及していることをナイーブに喜び、それによって「世界」が変わると喧伝するが、その「世界」に含まれるのは、アングロサクソンと、「名誉白人」として末席に加えてもらえる自分たち日本人だけ。
何百万人というアクティブなネット利用者である中華圏の人々やインド人などは、見事なまでに無視されている。
勝間和代がツイッターにおける「善意」を、いとも簡単に信用できるのは、欧米諸国と「名誉白人」に共通の価値観を暗黙の前提にしているからにすぎない。
それは、例えば先日来、このブログでネタとして敢えてネチネチ取り上げている、柴田淳の反中発言にも同じことが言える。柴田淳に全く欧米的文脈での「悪意」はない。欧米的文脈の「善意」でファンクラブ専用掲示板上で発言しているわけだ。
世の中には、背景となる価値観を離れたところに、絶対的な「善意」が存在するのではない。全く同じ発言でも、文脈しだいで「悪意」になる。勝間和代のいう「ツイッターの引き出す人の善意」も、欧米の文脈における相対的な「善意」でしかない。
つまらない結論で申し訳ないが、本書における勝間和代も、梅田望夫と同様、日米同盟に忠実な「名誉白人」として米国発の「ツイッター」なるものを礼賛している。それだけ。
そういえば広瀬香美も「名誉白人」の一人として、本書の中で無意識に米国礼賛をしてしまっている。
「アメリカに行くと、不景気でもみんな明るいんです。公園もたくさんあるし、ハンバーガーは安い。お金がなくても、遊べる場所はたくさんあります。でも日本に帰ってくると、国民性なのか、お金がなくなっちゃうと、みんな暗い顔をして、どうしていいかわからなくなるみたい。アメリカとくらべると、遊んだり楽しんだりするのが苦手なんだろうなって感じます。だから(中略)それ(=自分のツイート〔筆者注〕)によって、皆さんが職場でクスッと笑えたり、楽しいアドレナリンが出てきたりして、『よし、がんばろう』っていう気持ちになってもらえたらいいなと思うんです。それは私にできる、ささやかな社会貢献じゃないかなと思っています」(p.112)
本書には、これ以上論じるべきことは何もない。
【追記】...と言いつつ、勝間和代『つながる力』批判の続きは下記をどうぞ。
勝間和代『つながる力』のウソ(1):ツイッターは「壁を作る」
勝間和代『つながる力』のウソ(2):ツイッターのリアルタイム性は単なる錯覚
勝間和代『つながる力』のウソ(3):ハッシュタグの日本的解釈