伊東乾氏のツイッターに関する厚顔「無知」な記事

伊東乾氏が『日経ビジネスオンライン』に、ツイッター(Twitter)について勘違いもはなはだしい記事を、恥ずかしげもなく書いていたので、早速ツッコミを入れてみたい。
記事本文はこちら→「Twitter(ツイッター):新しい実名情報社会がやってくる!―モバイル・ユビキタス環境の顧客プロファイリング」
題名からして恥ずかしい。とっても恥ずかしい。
まず伊東乾は自ら「変な話ですが、私は『新メディア』というものに慎重にならざるを得ないところがあるのです」と書いている。
しかしこの記事の中で、自分のこの発言が嘘であり、「新メディア」に全く慎重でないことを露呈している。その自覚のなさが致命的だ。
そのエピソードとして伊東氏は自ら2ちゃんねるの「祭り」ネタの被害者になったことを挙げている。
しかし、2ちゃんねるの「祭り」ネタになるのは、ほとんどの場合、一定の知名度のある有名人だけである。僕自身も4年ほど前、2ちゃんねるで実名で「祭り」にされたが、著名人でも何でもないおかげで、すぐにおさまった。
伊東氏はネットの匿名攻撃の被害者が、著名人という「特権階級」だけであることを、意図的にか、議論から外しているが、これはネットの匿名性を論じる議論として、致命的な欠陥だ。
かくして著名人である伊東氏は、ネットの匿名性の弊害ゆえ、Twitterも無視しようとしていた。
ところが実名でTwitterに登録することにしたらしい。その理由が笑える。そのまま引用する。

「Twitterには、2ちゃんねるやブログと決定的に違う要素があるのです。端的に言えば、それは『Twitterは基本的に炎上しない』ということです。再び、なぜでしょう? それは『旅の恥はかき捨て』とばかりに匿名の無責任な乱暴狼藉が働けないからなんですね」

この文章ほど、ネットの本質を理解していない文章があるだろうか。
ネット社会のどこに、2ちゃんねるやブログからTwitterを安全に隔離してくれる「防弾装甲」があるというのか?
パソコンで2つブラウザを起動して、1つで2ちゃんねるを開き、1つで伊東乾氏のTwitterを開き、伊東氏のつぶやきをネタに2ちゃんねるで「祭り」をやれば、伊東氏がTwitterを始める前と何ら状況は変わらない。
「匿名の無責任な乱暴狼藉」は、確かにTwitterというサービスの枠内では無理だが、ネット上ではいくらでも継続可能だ。現にこうして僕自身、伊東氏を自分のブログで血祭りに上げている。
さらに伊東氏の恥ずかしい議論はつづく。そのまま引用する。

「私自身、トヨタのリコールも、三井環元検事の出獄も、藤田まこと氏の訃報も、みんな、仕事をしているパソコン画面の横に開いてあったTwitter画面にいち早く教えてもらいました。メディアとは媒体、すなわち道具です。賢く使えば、なかなか便利なこともたくさんある。これは間違いありません」

僕はこれらのニュースを、すべてテレビで初めて知った。
これって、たまたま伊東氏が、テレビをつけっぱなしにして仕事をしない習慣の人物だっただけのことじゃないか。仮に伊東氏が、AMラジオをつけっぱなしで仕事をする習慣の人物なら、AMラジオで「いち早く教えてもらいました」となるだろう。
これは当然過ぎるほど当然の議論で、ニュースの速報性と、Twitterでニュースを知ることに、全く関連性はない。ある人間があるニュースを最初に何で知るかは、その人間の生活習慣としか関連性がない。Twitterの出現とは全く無関係である。
こんな当たり前のことも理解していない伊東氏が、なぜ東大の准教授なのか。それこそ「金を積んだ」のではないかと勘ぐりたくなる。事実は伊東氏のプレゼンテーション能力、またの名を「嘘八百をならべる能力」のなせるわざだろう。
伊東氏の、ネットの匿名性に関する議論はまだ続く。
25年ほど前のインターネットメール黎明期、ネット社会は、アカウント名とドメイン名から人物が特定できる「半実名の社会」だったという。
これも「itokenstein@phys.u-tokyo.ac.jp」というメールアドレスを見て伊東乾氏だと特定できる人間が、全世界に相当数存在する、つまり、伊東氏に一定の知名度がなければ成立しない議論だ。
伊東氏は自らが著名人である事実に、自らの議論を依拠させていることに、不思議なほど無自覚である。あえて「乱暴狼藉」的な言葉遣いをさせて頂ければ、単なるバカじゃないか。
そして伊東氏は、米国でのインターネットの「民生転用」の過程で、半実名だったネット社会が、「清濁併せ呑む匿名の社会」になったと議論を展開するが、これも全くデタラメな議論だ。
インターネットが「民生転用」されることで、膨大な無名の人間がネットを利用できるようになり、ネット上で実名を明かされても、「あんた誰?」というほどネット人口が増えただけのことだ。
つまり、現実の社会で、例えばラッシュ時の新宿西口ですれ違った人に、いきなり呼び止められて、「私、山田太郎という者です」と言われても、「はぁ?あんた誰?」となるが、ネット社会もそうなっただけのことだ。
この単純な現象に、伊東氏は恥ずかしくも「ポスト冷戦期の匿名性インターネット・カルチャー」という、ものすごい名前を付けている。恥ずかしい。読んでいる方が本当に恥ずかしい。
ここまで議論してきたように、伊東氏は自分自身が一定の著名人である事実に、自らのネットの匿名性に関する議論を依拠させていることに無自覚なため、残りの日経ビジネスオンラインの記事での議論も、完全にデタラメである。
例えば、伊東氏が「便所の落書き・書いたら逃げ放題という『ポスト冷戦期匿名インターネット』という無責任環境の全体」(そのまま引用)を、これまで回避してこなければいけなかったのは、単に伊東氏が著名人だからである。
僕は「ポスト冷戦期の匿名性インターネット」という無責任環境から、迷惑をこうむったことなど全くない。
逆に、どうすればネット上で、自分の名前を売り込めるだろうかと、何冊か共著で本を書いてみたり、共著者といっしょにウェブサイトを立ち上げたり、ブログを立ち上げたりしたくらいだ。それでも全く、著名人にはなれなかった。
自分が著名人であることに無自覚なまま、デタラメな議論を垂れ流しにできる伊東氏が実にうらやましい。
伊東氏の議論はさらに、「Twitterの持つもう1つの側面」として、これもそのまま引用するが、「『移動体通信技術の進展でどこにでも人が出てゆくモバイル環境での、ネットワーク顧客情報の新たなプロファイリング』を可能にするメディア」だと指摘することで進んでいく。
たぶんこの「愛と苦悩の日記」の賢明な読者の皆さんは、すでにツッコミどころがお分かりだろう。
学者というものは、僕らのような一般人とは異質な生活をしているので、僕らが当たり前に知っていることを、全く知らないらしい。
モバゲーやGREEの一体どこが、「移動体通信技術の進展でどこにでも人が出てゆくモバイル環境での、ネットワーク顧客情報の新たなプロファイリング」でないだろうか。
モバゲー日記なんて、携帯電話による、ほぼリアルタイムのプロファイリング情報の垂れ流しもいいところだ。本人の写メが添付されている場合だってある。
これもそのまま引用するが、「自分の貴重な個人情報を、こともあろうに本人自身が朝から晩まで網羅的(アーカイブ的)に特定企業の情報サーバーに流し込むという現象が、2009年以降ブームになっている・・・そういう見方で、この<Twitter現象>を見ている人が、どれくらいおられるでしょうか」
まず「2009年以降」という区切り、そして貴重な個人情報を本人が特定企業のサーバー垂れ流しにする現象が、Twitter以前に起こっていなかったかのような、完全な事実認識の誤り。
1990年代に、個人で開設したホームページで家族写真を公開していたお父さんたちは?
しょこたんの真似をして、ブログで朝から晩まで自分の生活を公開し続けている女子たちは?
東大の准教授って、こんな基本的な事実誤認を『日経ビジネスオンライン』のようなマス媒体に、恥ずかしげもなく公表しても務まるんだ、と思わざるをえない。
おそらくこれ以上、伊東氏の記事に逐一反論する必要はないと思う。残りは「愛と苦悩の日記」の読者の皆さん自身で、上記の記事をお読み頂き、伊東氏の厚顔無恥ぶりをお楽しみ頂きたい。