意外に文脈依存度が高いツイッター

ツイッターって、文字数制限があるので、米国発のツールにしては珍しく、ものすごく「ハイコンテクスト」(=文脈依存度が高い)なコミュニケーション・ツールだなぁと思った。
例えば、最近10件の「つぶやき」をフォローしただけでは、その人の職業や社会的背景、そもそも、何についてつぶやいているのかさえ分からない場合がある。
つまり、同じ文脈を共有している人どうしでないと、お互いの「つぶやき」の意味を完全には理解できない。
ブログの記事なら、検索エンジンなどから、いきなり特定の記事のページに飛んでくる場合があるので、その場合でも読者が理解できるように、記事のテーマを明示し、筆者である自分の立場も説明する。
ブログはある程度の長さがあるので、そうした記事の「背景」や「文脈」にあたることも説明できる。
ツイッターの文字制限では、「つぶやき」の「背景」や「文脈」まではとても説明できないので、必然的に読者が自分の「背景」や「文脈」を理解しているものとして、「つぶやく」ことになる。
有名人が「つぶやく」場合は、多くの人がその「文脈」を共有できるので、「つぶやき」の意味がわかり、フォローの敷居が低い。
しかし、一般人の「つぶやき」を、知人でも何でもない人間がいきなりフォローしても、ほとんどの場合、何について「つぶやい」ているのか分からない。
結果として、フォローする・される関係を図式化すると、有名人の「つぶやき」がハブ空港のような「ハブ」になって、一般人の「つぶやき」どうしは小さな島宇宙を無数に点在させることになる。
でも、これってブログの筆者・読者の関係を図式化したときにも、同じ結果になるはずだ。
だとするとツイッターは、ブログと更新頻度と文字数制限が異なるだけで、ブログや2ちゃんねるのような掲示板と比較して、ネット上のコミュニケーションを「根本的に」変革するものでは決してない。
ご存知のように、ミクシィにも「つぶやき」機能があるのだが、2日間でログは強制削除される。ミクシィの運営会社曰く、意図的にログを残さないことで、ミクシィに頻繁にログインさせるよう利用者を誘導するのが目的だという。
しかし、文脈依存度の高い「つぶやき」なら、ログは2日間残れば十分で、残したい記録はミクシィの中の「日記」機能を使えばよい。
その意味でミクシィ利用者には、ツイッターにあたる「ボイス」機能も、ブログにあたる「ミクシィ日記」機能も(=ユーザ単位の閲覧制限がかけられる優れもの)、掲示板にあたる「コミュニティー」の「トピックス」や「ミクシィ日記」へのコメント機能も、閲覧制限付きで提供されている。
英語ができる人なら、世界とつながるという意味で、日本産のSNSではなく、ツイッターを利用する意味もあるだろうが、やはり最近のツイッターの流行は、マスコミが無理やり話題づくりをし、演出している感がある。
時代錯誤の自己責任論者・自己決定論者である「名誉白人」の勝間和代をはじめとして、ね。