国民は小沢氏の疑惑より、検察の権限濫用を心配した方がいいよ

東京地検は、小沢氏を不起訴の方向で最終検討中とのことだ。
東京地検は、あれだけあちこち強制捜査をしたにもかかわらず、小沢氏を起訴するだけの決定的な証拠をつかめなかったことになる。
石川議員らが、小沢幹事長の直接的な関与を否定しても、東京地検は、あれだけ国民の税金をつかって、あちこち強制捜査をしたのだから、客観的な証拠を見つけ出して、小沢一郎氏を起訴まで持っていくべきだった。
ところが東京地検は、決定的な証拠を見つけられなかった。(税金返せ!)
おそらくマスコミも含め、愚かな日本国民のほとんどは、「小沢一郎が証拠隠滅をはかったからだ」と考えるに違いない。
しかし、そもそも政治資金規正法は、収支報告書に入出金を「すべて」記録するように求めていないので、今回の立件そのものに最初から無理があった。仮に、収支報告書に嘘の記載をしたとしても、形式的には、訂正して再提出すればおしまいだ。(もちろん最初から正確な記載をするに越したことはないが)
東京地検のねらいは、嘘の記載が意図的なものであり、その「意図」の裏にヤミ献金を見つけ出すことだったようだ。
そこで、一万円札の番号まで調べたわけだが、結局、決定的な証拠を見つけられなかった。検察は、国民の税金をムダづかいするのもいい加減にしてもらいたい。
近代司法の大原則は、言うまでもなく「推定無罪」である。
愚かな日本国民たちが、感情面で、小沢一郎氏を有罪にして「市中引き回しの刑」にでもしたい気持ちなのは理解できる。
しかし僕らが生きているのは21世紀、しかも日本という仮にも先進諸国の一員である国家だ。
法律上の適切な手続きにしたがって捜査をした結果、証拠が見つからず、小沢一郎氏を起訴できないなら、いくら小沢一郎氏があやしくても「無罪」と見なさざるを得ない。それが近代国家のルールだ。
僕らはそういうルールで運営されている社会に生活しているのだから、正規の手順を踏まずに、勝手にルール(法律)を変えることは許されない。
そんなの納得できない!というなら、江戸時代に戻るしかない。つまり「敵討ち」の時代に逆戻りするしかない。
自分が犯罪にあったら、自分で犯人を見つけ出して、自分で気のすむように仕返しをする時代に逆戻りするしかない。(仕返しようとして、犯人にもっとひどいことをされる可能性の方が高いけどね)
小沢一郎を「クロだ、クロだ」と言い張る人々は、近代法を捨てて、「敵討ち」の時代に戻りたいと言っているのと同じことだ。そういう愚かな人々に対しては、どうぞ、戻れるものなら戻って下さい、としか言いようがない。
もう一度書くが、今回の件を検察の「勇み足」と言わずして、いったい何を「勇み足」と言うのか。国民は小沢氏の嫌疑より、むしろ検察の権限の濫用を心配した方がいい。
というのも、検察が権限の濫用を今後も続けるとすれば、それは、国民一人ひとりに、「えん罪」という形でふりかかってくるからだ。
国民の皆さんは、小沢幹事長のことを騒いでいる場合ではない。むしろ問題は、検察が適正な法的手続きにそって権限を行使しているのかどうかであることに、そろそろ気づいた方がいい。