鬼束コミュも柴田淳コミュと大差なくてうんざり

ミクシィは鬼束ちひろコミュニティーも、柴田淳コミュニティーと大差なかった。はは。もう笑うしかない。

ある人が鬼束ちひろの最近の音楽性の変化について分析するトピックスを立てたら、それに対して、彼女について第三者が勝手に分析すると、本人が傷つくかもしれない、鬼束ちひろだって血の通った一人の人間だ、それを勝手に分析するのは人として間違っている、マナーがなってないなどと、非論理的な反論をする人間が出て来る。
鬼束ちひろを分析したい人と、鬼束ちひろを守りたい人に分かれて、後者が前者の「言論の自由」を奪うという、柴田淳コミュニティーで起こったのと、全く同型のことが起こった。
アーティストの音楽性の分析なんて、昔から「音楽評論」として行われてきたことで、今でも音楽誌に「ディスクレビュー」として普通に行われていることじゃないか。新聞にも「書評」ってものがある。
例えば、「村上春樹の新作は以前の作品と比べて劣っている」などと書くのは、本人が傷つくから非人道的だ、なんてことを言っていたら、あらゆる「批評」というものが成立しなくなる。
しかも上述の鬼束ちひろのトピックスを立てた人は、別に鬼束ちひろを非難したわけではなく、彼女にこれからも長く歌い続けて欲しいという思いから、最近の音楽性の変化にある種の危惧を表明していた。
つまり、鬼束ちひろの活動を応援する気持ちは、他のファンと何ら変わりない。なのに「分析するのは人としてのマナーがなっていない」と、非論理的な屁理屈で「言論の自由」を封じようとする。
意見の異なるものどうしが議論する「ディベート」的な世界に無縁で、「みんな仲良く」の世界、つまり「世間」でしか生活した経験のない人間が、分析や理屈っぽいものを何でもかんでも排除しにかかるのだ。
やはり平均的日本人の知的水準など、どこに行ってもこの程度のレベルということだ。鬼束ちひろコミュニティーの方が知的水準が高いだろうと、期待を抱いた僕がバカだった。
それに加えて最悪なのは、この「分析派」と「同情派」の対立を、横から短いコメントで茶化す「ヘタレ」が存在するという点。頭の悪さで言えば、こいつら「ヘタレ」が最低レベルだ。
でも、ミクシィで起こることは、単なる日本社会の縮図。
まともな議論ができず、マナーがどうとか、人の気持ちがどうとか、感情でしか物を言えず、勝手にルールを作って、他人の発言の自由を封じようとする人間。そして、そういう状況全体を、訳も分かっていないくせに面白がって茶化すヘタレ。
あえて差別的な言葉を使わせて頂ければ、日本社会はこのように、エリートと、凡人と、ヘタレ(=クズ)の3種類の人間でできている。ミクシィのコミュニティーも、同じように、これら3種類の人間で構成されている。
もうミクシィのコミュニティー機能はうんざりだ。
分析派と同情派で議論をしている間はまだ良いが、ヘタレに議論を茶化されるのは、完全に時間のムダ。ミクシィで他人の真剣な議論を茶化すヘタレは、人間のクズだ。
ミクシィのコミュニティーは、せいぜい情報交換に使う程度がいいってことだ。