勝間和代、無自覚な成功者の発する言葉の「残酷」さ

勝間和代は無自覚でナイーブすぎる成功者である。
悲しいことだが、世の中に、どちらかと言えば人生に成功した人たちと、どちらかと言えば人生に失敗した人たちが存在するのは、動かせない事実だ。
勝間和代のように、どちらかと言えば成功した人たちが、「自分の成功はおおむね自分の努力で勝ちとったものであり、世の中には希望がある。誰でもやればできる。できなかったとすれば、それは当人の努力が足りなかったからだ」と考えるのは、ある意味、自然なこと、しかたのないことである。
そして、どちらかと言えば人生に失敗した人たちが、勝間和代のように、どちらかと言えば成功した人たちを、多少なりとも、うらやみ、ねたむのも仕方ない。
そしてそのことを、成功した人たちが非難する権利はない。
重要なのは、世の中に成功者と失敗者が存在するという事実から目をそむけないことと、どうやっても自分の人生を「逆転」できなくなってしまう「臨界点」のような年齢があることを認識することだ。
たとえば僕は40歳近い年齢だが、この年齢になって、今から生業を変えることは不可能である。生業を変えるにもお金と時間が必要だが、明らかに40歳近い年齢では、もう遅い。

勝間和代のような成功者は、「臨界点」に達する前に、自分の人生の方向転換に成功している人である。
そういう人間の書いた本を立ち読みして、40歳近い僕が、「勝間和代は『困ったちゃん』で、香山リカの方がましだ」と感じるのは、ごく自然なことである。
人間、いつまでも若くはない。僕のように40歳近い年齢というのは、すでに人生の取り返しのつかない地点を過ぎてしまっている。
いつまでも、あると思うな、若さと希望、ってところだ。
40歳近い年齢になって、自分の人生がどちらかと言えば失敗だったと認識している人間には、若さはもちろん、世の中に対する夢も希望もない。
そして、どちらかとい言えば人生に成功した人たちが、そんな風に世の中に絶望し、場合によっては心を病んでいる人々に対して、「世の中にはまだ希望がある」「やればできる」と訴えるのは、非情だ。
どちらかと言えば人生に成功した人たちが発する「世の中にはまだ希望がある」「やればできる」という言葉ほど、どちらかと言えば人生に失敗した人たちに、世の中に対する希望を失わせ、絶望させ、追い詰める言葉はない。
勝間和代は、自分の言葉の残酷さを全く自覚していないから、僕は勝間和代を批判しているのだ。
香山リカも成功者だが、精神科医という職業が単なる食いぶちであり、必ずしも患者の絶望を救うことができないことを自覚しているだけ、まだ「倫理的」である。