勝間和代『やればできる』は究極の「困ったちゃん」

勝間和代って人は、ほんとに「困ったちゃん」だなぁ。

勝間和代が、香山リカのベストセラー『しがみつかない生き方』(幻冬舎新書)への反論として書いた『やればできる―まわりの人と夢をかなえあう4つの力』(ダイヤモンド社、発売日2009/12/04)を本屋で立ち読みして、そう思った。
最初に言っておくと、この『やればできる』という本は、買ってまで読む価値は全くない。本屋で立ち読みすれば、5分で内容がわかる。なのでここにも商品リンクは貼り付けない。代わりに香山リカの『しがみつかない生き方』を貼り付けておいた。
この『やればできる』という奇書の中で、勝間和代はくり返し、「勝間和代だからできた」のではなく、「勝間和代でなくてもできる」「やればできる」と書いている。
ほんとうにこの人は、自分を客観視できない「困ったちゃん」だなぁと、あらためて思った。
勝間和代は、自分が備えている能力は、みんなも当り前のように持っていると、何の疑問もなく思いこんでいるのだ。
その能力とは、基本的な対人コミュニケーション能力と、そこそこの美貌である。(そこそこの美貌を「能力」と呼べるかは別として)
そして、勝間和代は、徹頭徹尾、自分の成功はすべて自分ががんばったからだという自己責任論者で、自分の成功が、部分的に単にラッキーだったのだと認める謙虚さを、全く持ち合わせていない。
ここまで図々しい性格も、勝間和代のもつ特殊な能力の一つである。
基本的な対人コミュニケーション能力、そこそこの美貌、自分の成功要因に一切「幸運」を認めない図々しさ。
これらを兼ね備えた、非常に特殊な人物であるからこそ、勝間和代は成功したのである。つまり「勝間和代だから」成功したのである。
そんな勝間和代が、一万回「勝間和代でなくてもやればできる」と書いたって、全く説得力がない。
そのシンプルな事実を、勝間和代自身が、香山リカをはじめとして、これだけあらゆる方面から批判されているのに、まだ分かっていない。
この点こそが、勝間和代という人物が、いかに特殊な人物であるかを雄弁に物語っている。そしてこの点こそ、勝間和代が成功した理由なのだ。

社会学者・宮台真司が指摘しているように、彼が大学のゼミで出会う学生の中には、ごく基本的な対人コミュニケーション能力や、自己肯定感さえ持ち合わせていない人が、増えて来ている。
つまり、教師である宮台真司が、ちょっとプレゼンテーションの欠点を指摘しただけで、次からゼミに出席してこなくなるようなタイプの学生である。
また、精神科医としての香山リカのもとに、患者としてやってくる人々の問題のほとんどは、ごく基本的な対人コミュニケーション能力の不全で説明できると思われる。
はたから見れば「そんなこと、ちょっと友だちに相談すれば解決できるでしょ」と思っても、そもそも当人には「友だち」を作るコミュニケーション能力が欠如していたりする。
そしてコミュニケーション能力の欠如は、多くの場合、最低限の「自己肯定感」が欠如しているからである。
つまり、「自分は他人とつながる価値のある存在だ」「他人に話しかける価値のある人間だ」「他人にとって友だちになる価値のある存在だ」とさえ思えない人々が、今の世の中にはたくさんいるのである。
それくらい自己評価の低い人々が、今の世の中にはたくさんいるのだ。
そういう人たちにとっては、勝間和代なら「朝飯前」の、身近な人に話しかけること、ネットで人とつながることさえ、非常に困難で勇気と労力のいることなのである。
香山リカは、同調圧力の強い学校や職場で、人間関係に疲弊した結果、あるいは、子供のころの親の育て方が不適切だった結果、自分自身を肯定的に評価できなくなり、ごく基本的な他人とのコミュニケーションさえとれなくなっている「患者」をたくさん目にしている。
だから香山リカは『しがみつかない生き方』の中で、今の日本社会を生きる人たち、みんながみんな、勝間和代のようなタイプを目指すのは危険だと、警鐘を鳴らしているのだ。
しかし『やればできる』という勝間和代の本は、香山リカのこうした根深い社会問題に対する批判の観点を、完全に無視している。
そして、他の「勝間本」と同じように、徹頭徹尾、「やればできる」という自己責任論を主張している。なので、まったく香山リカに対する反論になっていない。
おそらく勝間和代は、単純素朴な自己責任論、自己決定論が、頭にしみついていて、もはや香山リカのような社会構造批判を理解することができなくなっているのだろう。
勝間和代は、自分で自分を洗脳する「自己洗脳」に完全に成功している、きわめて特殊な人物なのだ。
これくらい特殊な人物である勝間和代の自己啓発本を読んでも、ふつうの人は何も学べないということを、決して忘れてはいけない。
ふつうの人たちは、「自己洗脳」に完全に成功した勝間和代が、自分たちをも「洗脳」しようとしていることに注意した方がよい。
でないと、冗談ぬきで、最終的には精神科医のお世話になる結果になる。
梅田望夫といい、平林都といい、こういった種類の人たちは、前回も書いたように、おもしろおかしく「きわもの」あつかいされる分には、社会的に無害なのだが、中には彼らの言うことを真面目に信じ込んでしまう人もいるので、困ったものだ。

最後にもう一度書いておこう。勝間和代が成功したのは、特異な才能と強運のおかげであって、誰もが同じような成功を手に入れられるというのは、まったくのウソである。
したがって『やればできる―まわりの人と夢をかなえあう4つの力』(ダイヤモンド社)という単行本も、まったく読む価値はないし、他の「勝間本」も全く読む価値はない。
「勝間本」を読む時間があったら、デカルトの『方法序説』(岩波文庫)を読もう。
勝間和代のような人たちは、17世紀に書かれた、デカルトの『方法序説』ですでに相対化されていることを、21世紀の今になっても絶対的なものだと信じ込んでいる。それほどまでに、時代錯誤な特殊な人たちなのである。
例えて言えば、勝間和代のような人は、いまだに「天動説」を信じ、人間は神が作ったと信じているような種類の人である。
ほんとに勝間和代には困ったもんだ。