鬼束ちひろインタビュー『BARFOUT!』2007/11号批評(最終回の続き)

鬼束ちひろの復帰を取り上げた『BARFOUT!』147号(2007/11号)だが、まだアマゾンで3倍の値段で売り出して、利ザヤを稼ごうとしている古書店がいるようだ。

なので「第1特集+front cover story 1『復活の日~RISE, FALL and RETURN!!』」の中から、鬼束ちひろに関する部分で、まだ唯一レビューしていないかったp.030~p.031をとりあげたい。
この部分は、鬼束ちひろの復活をプロデュースした、ユニバーサルミュージックのA&Mレーベル統括プロデューサ、近藤雅信氏のインタビューで、前半が鬼束ちひろ、後半が岡村靖幸の復活劇について書かれている。

barf:鬼束さん、印象はいかがでしたか?
近藤雅信氏:最近出た、ウォルト・ディズニーの生涯を描いた本のタイトルが『創造の狂気』というんですが、このワードは、優れたアーティストはみんな持っているもので。別に彼女は狂人じゃないですけど、ものを作る上で何かを持っている人って感じはすごいしました。そういう人って、今までいっぱい仕事してきたんですが、脈々と、僕の中で、そういうアーティストに惹かれていく、仕事をするというミッションがあるんだと、最近、自覚もしてまして(笑)。
barf:で、04年契約し、移籍第1弾シングル『育つ雑草』がリリースされました。
近藤:その頃は、<A&M>レーベルにいる1アーティスト、という関わり方だったんです。『育つ雑草』ができて、イヴェントにシークレットで出て、あとはプロモーションでいろんなメディアに順次出ていきましょう、というプランだったんですけど、ご存知の通り、そのイヴェント出てから、姿を消してしまったということで。「さて、どうしましょう?」ちおう感じでした。

この部分を読んで、それまでの鬼束ちひろのイメージを大きくくつがえすグランジ・ロック作品の『育つ雑草』に、ユニバーサルとしてちゃんとしたプロモーションのプランがあったことを初めて知った。
もしそのまま各種メディアでプロモーションをやっていたら、今ごろ鬼束ちひろはどんな位置づけのアーティストになっていたんだろうね。

barf:そこからリターンしてくるのは難しいし、なかなかできないことではないでしょうか?
近藤:アーティストって、人から見られることによって自分のエネルギーに転化していくタイプと、見られることによって摩耗していっちゃうタイプと、大きく分けて2つのタイプで。彼女は明らかに後者の方で。デビューして最初から大成功して、失ったものがあるんでしょうね。彼女は「作品を作るというのが、私にとっての治癒だから」って言ってましたけど、そっちの治癒っていう側面と、精神的な治癒という必要があったんじゃないですか。だから、時間が必要だったんですよ。


アーティストと普通の会社員をいっしょにしてはいけないのだが、普通の会社員だって仕事上の原因でうつ病になった場合は、一定の治療期間をとった上で、徐々にリハビリしていき、完全復職するというプログラムがある。
ちょっと必要があって、左の『「うつ」からの職場復帰のポイント』(秀和システム)という、精神科産業医の書いた本を読んでいるのだが、復職プログラム全体も、細かい情報も網羅されていて、とてもよくできた本だ。
ん、ちょっと脱線してしまった。

barf:この沈黙期間、彼女にはどう接しましたか?
近藤:05年の後半の晩夏から、彼女と毎月会うようになって。3回目のミーティングに、彼女がデモ・テープを2曲持って来たんです。「everyhome」と「僕等 バラ色の日々」を。彼女の場合。メロディも歌詞も完全にできた完璧な形で作ってくるんですね。それで「誰とやりたいか?」って話になって、その時彼女の方から出てきたのが小林武史さん。僕もまさに、「小林さんとやりたい」って強く思ってたんで、そこで風景が見えました。で、2曲のデモ・テープを小林さんに聞いていただいたら、興味を持ってくれて。05年末に1回会って、「ちょっとセッションしてみようか?」ってことで06年春に、小林さんのピアノと本人とでセッションをしました。それがもう、素晴らしくて。「うわー」って激しく感情を揺さぶられました。手ごたえを小林さんも本人も感じてくれて。それで「アルバム分作品ができたら、レコーディングやろうか?」って話になりました。だけど、その後、パタッと曲が出来なくなっちゃって。それで、10月に会った時に、「アルバム分の曲をクリスマスまでに作れなければ、一緒に仕事する意味がない」って言いました。そしたら次の日からスイッチが入ったようで、どんどん曲ができてきて。17曲ができたんですよ(笑)。その時はすごい嬉しかったなぁ。「じゃあ、行こう」ということで、年明けに一気に水面下でレコーディングを始めました。

『育つ雑草』が2004年10月27日リリースなので、やはり約1年間、鬼束ちひろは姿を消していた(というより、たぶん宮崎に帰ってた?)ようだ。
鬼束ちひろ本人も、どこかのインタビューで、反抗期はなかったかと問われて、大人になってから親に手を上げたと答えていたので、この頃、実家での両親との葛藤もある程度あったのではないか。
ただ「復職期間」として1年というのは、おそらく鬼束ちひろにとって、妥当な期間だったのだろう。

barf:どんな鬼束さん像をどう作ろうと考えましたか?
近藤:基本に立ち返るってことで。ちゃんとしたメロディを、彼女の言葉でちゃんと歌うっていう。これはヴィジュアルも含めてトータルで。それを彼女と一緒に考えながら一歩一歩進んでいくということですね。
barf:「もっと待とう」とも考えていましたか?
近藤:「やりたい」ことは、表現者の人はドンドン出てくるわけで。出すタイミングとか落としどころ、出し方はこちらの仕事で、翻訳家とか通訳みたいなものですね。世の中と表現者のコーディネーター。だから、そのタイミングは結構大事ですよ。それと表現者の人に余力があるかどうか?エネルギーがちゃんと正面に向いているか?必然がちゃんとあるかどうか?を見定めて、ジャストなタイミングで出すと。

ここから先は岡村靖幸復活劇の話になるので、鬼束ちひろについてはここまでだ。
やりたいことは表現者の方から出てくる。プロデューサーはそれを世の中とつなぐ仕事だ、という部分には、近藤雅信氏のプロデューサーとしての誠実さがにじみ出ていると感じた。
というのは、音楽業界のプロデューサーには、やりたいこともなく、表現者でもない、ただヴィジュアルの良い若者を選んで、いわば無理やりアイドルに仕立て上げるタイプのプロデューサーも存在するからだ。
そういうタイプのプロデューサーは、完全に商業主義的なスタンスであり、「アーティスト」を育てるタイプの近藤雅信氏のようなプロデューサーとは、正反対だと言える。
ユニバーサルに移籍した後、近藤雅信氏のようなプロデューサーに出会えたのは、鬼束ちひろにとって幸運だったと言える。
※なお、鬼束ちひろについてツイッターでつぶやくときのハッシュタグは #onitsuka に決まりました。