平林都氏、単一の価値観で人間をふるい分ける残酷さ

平林都という「伝説のマナー講師」について、たまたま『エチカの鏡』という番組が目に入り、埼玉県の美容院での研修風景がドキュメンタリー風に紹介されていた。

身もフタもない言い方をすると、この美容院でその講師の研修から落ちこぼれた美容師は、いくら腕が良くてもクビにされるのだ。
つまり、彼女の仕事は、理想的な接客マナーという基準で、人間を「優れた人間」と「劣った人間」にふるい分ける仕事である。
この接遇講師のような人間にとって、サービス業とは、いってみれば、金正日の代わりに「お客様のため」という言葉が統治している「独裁国家」のようなものなのだ。金正日の言うことを聞かない人間は、容赦なく粛清されていく。
もちろん彼女自身は、従業員をクビにするという仕事に手を汚さずに済む。彼女を雇った経営者が、彼女の提示した接客マナーの線引きにしたがって、従業員を選別して、クビにするのだ。
このように、単一の価値観で人間を二種類にふるい分ける、彼女の接遇研修のような仕事は、倫理的と言えるだろうか?
彼女の考え方によれば、接客マナーの悪い美容師は、腕の良し悪しにかかわらず、美容師として存在価値がないということになる。
これは、果たして倫理的な考え方だろうか?
この接遇講師のように、単一の価値観にもとづいて、人間を「優れた人間」と「劣った人間」に分ける風潮を助長するような職業は、決して倫理的とは言えない。
「偏差値」という単一の価値基準で、人間を「優れた人間」と「劣った人間」にふるい分ける受験戦争時代への逆もどりだ。
結局、『エチカの鏡』のような番組を制作するプロデューサーの「倫理観」は、この接遇講師のような人物を、バラエティー番組で面白おかしく取り上げる程度のレベルなのである。

たぶん『エチカの鏡』のプロデューサーは、倫理について深く考えたことがないのだろう。
ふてくされた若者が、マナー研修によって、接客マナーの良し悪しという基準で「良い人間」になっていくプロセスを見せることで、視聴率さえ取れればよいのだ。視聴率が取れればテレビ局は儲かる。
数字を取ること、儲けることが、プロデューサーのあさはかな倫理である。
学生時代に西洋哲学をかじった人間としては、こう言いたい。
こんな偽善的な番組に、二千年以上の伝統のある、ラテン語の「エチカ」という言葉を使わないでほしい。
アリストテレスや、スピノザなど、西洋哲学史上の偉大な思想家に対する冒涜だ。
もう一度書いておく。
「伝説の接遇講師」平林都氏のような職業は、しょせんは経営者側の立場で、「お客様のため」という美名の下、不要な従業員をふるい分ける手助けをする職業である。そんな職業は、決して倫理的ではない。経営者の金儲けを手助けしているだけである。
もちろん、経営者が金儲けをすることは、悪いことではないが、良いことでもない。経済的に合理的である、としか言えない。
したがって接遇講師のような職業も、悪いことではないが、良いことでもない。サブプライムローンを開発したファンドマネージャのように、単に経済合理的なだけである。
しかし、そのような職業を、「エチカ」という名前で、あたかも倫理的であるかのように紹介するのは、明らかに悪いことである。