鬼束ちひろインタビュー『BARFOUT!』2007/11号批評(3)

鬼束ちひろがどうやって復活できたのかが、いちばんよく分かる、幻冬舎の雑誌『BARFOUT!』2007年11月号(Volume 147)。第1特集『復活の日~RISE, FALL and RETURN!!!』鬼束ちひろ×岡村靖幸。

前回にひきつづき、鬼束ちひろの単独インタビューの後半部分をレビューしてみたい。今回はp.021~の真ん中あたりから。インタビューの舞台は代官山に変わる。

barf:歌い方が前と変わったと思った。
鬼束:そうかなぁ……。うーん、歳かな(笑)。
barf:歌詞は、前より曖昧さを許さない感じで。言葉の意味がズバッと来るから、逃げられない。
鬼束:あー、それはあるかも。意識してるかも。なんか、長く歌いたいって気持ちが出てきて。前の3枚出したアルバムの中でも、「これはもう歌えないな」っていう曲とかあるから。例えば、中島みゆきさんとか、昔の歌もずっと歌ってるじゃないですか? そういう感じになれたらいいなと思うんで。だから、詞への思い入れも、前とは変ったかも。
barf:前も、今みたいな詞を書こうと思ってた?
鬼束:それはなかった。
barf:「everyhome」を聴いた時、ヤバイって思った。
鬼束:あれは、結構きちんと詞になってますよね。
barf:前は、こういう書き方してなかったし。
鬼束:うん。もっと若かった気がする。この曲こそ、ずっと歌えるなと思う。うん。ずっと歌っていきたい。私自身は、いつ止めてもいいんだけど、曲を残していきたい。
barf:岡村さんも同じこと言ってた。「作品を残したい」と。
鬼束:天才は、そういう人、多いらしいですよ。子供を作るという感覚があまりないんだって。その分、作品に没頭するって言うか。
barf:自分のことを歌ってるわけ?
鬼束:自分のことをドロッと吐き出すより、なんか、セットしていった方がいいのかな?って。カシッカシッって、映画を書くように、脚本を書くように、丁寧に作っていった方が。昔は、書き散らす感じだったんだけど。
barf:そのシーン、そのシーンを描いていくと?
鬼束:そういうモードになってきましたね、最近。
barf:映画をいっぱい観てきたことが、反映してるのかな?
鬼束:うん。映画を観ながら、消音にして曲を書くことが多いんですよ。
barf:無意識にインスパイアされてたり?
鬼束:する。前話したように、「everyhome」は、『フォレスト・ガンプ』を観ながら作ったから。

たしか鬼束ちひろは「Sign」を作った時も、脚本を書くようにして作ったと言っていた。初期の吐き出すような作曲法から、より構成的な方法への転換は、活動休止とは無関係に、年齢とともに鬼束ちひろの中で変化していったのかもしれない。
この部分で、鬼束ちひろファンなら誰しも気になるのは、鬼束ちひろ自身が「これはもう歌えないな」と思っている曲って何だろう、ということだ。
これは僕の単なる推測だが、「Castle Imitation」は長く歌っていくにはかなり厳しい曲の一つではないか。「月光」もそんな感じがする。
逆に長く歌えるのは、例えば『インソムニア』の中では、「edge」「We can go」「call」「螺旋」「眩暈」あたりか。

barf:「Angelina」も、アンジェリーナ・ジョリーが出てる映画を観ながら作ったとか?
鬼束:それはない。でも、書いた時にアンジェリーナ・ジョリーを思い付いたんですよね。
barf:なんか、登場人物が増えた感じもしたの。
鬼束:いや。基本的に同じ人。1人ですね。
barf:じゃあ、スキルが上がったのかなぁ? 単色じゃない感じしたから。
鬼束:んー、それは分からない。
barf:「Angelina」の〈私が愛さなくて 誰が愛するのって〉いうライン。鬼束ちひろじゃないと書けない。
鬼束:そのラインは、すごく大事にしなきゃと思って。
barf:「育つ雑草」で〈私は死んでる〉と歌って、この曲では〈死んではいない〉って歌ってるじゃない? 関連性はある?
鬼束:いや、特にない。多分、その時の気持ちを歌ってたんだと思うから。
barf:尖ってる部分と、丸い部分が同じ曲の中に同居してて。スキルがないとできないことだから、やはり時間を経て、スキルが上がったんだと思うの。
鬼束:そうかなぁ? だと良いけど。経て、経てね。
barf:No Pain, No Gainじゃないけど、何か失わないと得られなかったりするでしょ?
鬼束:うん。休んでる間に考え方が変わったかも。意識はしてないにしても、単純に「スキルは上げなきゃ」とは思ったかも。
barf:「上げたい」って意識があるのに、「できない」という葛藤?
鬼束:それは今でもそう。

インタビュアーの山崎二郎氏の指摘は的を得て素晴らしいなと思う。
鬼束ちひろの回答をずっと読んでいて感じるのは、一貫して「作為」を否定する人だな、ということだ。
たとえば、僕も「育つ雑草」と「Angelina」の歌詞は、活動休止前と復帰後の心情として関連性があると感じていた。しかし鬼束ちひろ本人は、そのことを質問されたらきっと否定するだろうと予想していたが、やはり予想どおり「特にない」と否定している。
作曲法が、昔のように直感的ではなく、構成的になっていることは認めるが、その変化自体についても、鬼束ちひろ自身は、何となく、という感じだ。
また、スキルを上げることについても、「意識はしてないにしても」と微妙な表現をつかって答えている。
鬼束ちひろが、「作為」や、意識的であることを否定するのは、決して彼女が自分の直感を信じていたり、運命を信じていたりするからではないと思う。
鬼束ちひろが、慎重に避けようとしているのは、目標を固定することに違いない。目的や終点、古代ギリシア語の哲学用語で言えば「テロス」の否定だ。
目標を固定すると、終末論的な発想になる。目標は達成するために立てるものだから、目標を立てるということは、世界に何らかの理想形があることを認めることになる。
しかし、鬼束ちひろは、世界に「完全なもの」や「理想的なもの」が具体的なかたちで存在することを認めない。
鬼束ちひろを有名にした「月光」の歌詞を読んで、あの歌詞が「腐敗した世界」を否定しているというのは、誤解だろう。
逆に鬼束ちひろは「We can go」の歌詞にあるように、「どうか完全なものたちが そこら中に溢れないように」と願い、腐敗した世界をそのまま受け入れている。
ただし、腐敗した世界を、世界の最終形と見なしているわけでもない。世界は永遠に未完成で、目標や目的も永遠に固定されないままでなければ、次へとつながっていけない、そういう世界が、鬼束ちひろの世界だと思う。
「everyhome」や「帰り路をなくして」の歌詞で、そのことは比較的わかりやすく示されている。最終目的地である「家」がないからこそ、「私」の立っている場所、いたるところが「家」でありうる。
このように鬼束ちひろの歌詞の世界は、多分に否定神学的だ。

barf:意識が変わったところってある?
鬼束:やっぱ、歌詞ですね。メロディは前と変わらないかも。
barf:英語の詞でも、曖昧さがなくて。シングル『僕等 バラ色の日々』のカップリングの「NOW」もそう。
鬼束:うん。
barf:詞以外で、考え方が変わったところはある?
鬼束:それぐらいですね。でも、すごい大きいことだと思うから。
barf:1回リセットするのって、誰にでもあるわけだから。そう捉えればいいんじゃんって思った。
鬼束:具体的に何かをしてたわけではないから。ただ、休んで充電してたってだけだから。充電したかどうかも分かんないな(笑)。でも常にジッとしてた。休んでても、休んでなくても。ビートルズの「Helter Skelter」の歌詞とか見ると、びっくりするもん。すごくリンクしてて。

うっ。ビートルズの「Helter Skelter」の歌詞と何がリンクしているのかよく分からない。肉体的に休んでいても動いていても、精神的には静止していたことが、「Helter Skelter」の歌詞とリンクしているのか。
自分がこれからどう振舞うべきか、行ったり来たりしながらも、実はずっと一か所にとどまっていただけのような気がする点が、「Helter Skelter」の歌詞とリンクしているのか。

barf:「充電」的なイメージじゃなかった?
鬼束:うん。
barf:仕事してても、してなくても一緒ってこと?
鬼束:そう。だから、仕事してても、超公私混同なんですよ(笑)。例えば、恋愛で上手くいかない日があったら、そのまま出ちゃうし。
barf:人間関係もリセットするでしょ?
鬼束:うん。よくね。
barf:でも、歌とだけはずっと付き合ってきた?
鬼束:うん。そこは別れないで。
barf:歌を止めようとは思わなかった?
鬼束:止めなきゃいけないのかな?とは思った。引退説とか、勝手に書かれてたから。
barf:自分としては?
鬼束:もう1回歌いたいなと思ってた。歌でしか生きていけないからね、私は。
barf:休んで、再認識したとか?
鬼束:うん。

中島美嘉と鬼束ちひろのファンも、結構、重なっているようだが、ご承知のように、中島美嘉は歌でしか生きていけないとは全く思っていない。鬼束ちひろと、たぶん柴田淳は、歌でしか生きていけないと思っていると思う。
鬼束ちひろが歌でしか生きていけないのは、先日引用したこのインタビューの中で、彼女の父親が「お前は器用貧乏の真逆」と言われたことと同じ意味だ。

barf:歌うのと、曲作りのどちらが好き?
鬼束:歌うこと。
barf:人に作ってもらった曲を歌うのはあり?
鬼束:前ほど嫌じゃないかなぁ。

『いい日旅立ち・西へ』は嫌だったんじゃないかなぁと、僕は勝手に想像したりする。完全にJR西日本とのタイアップだし、谷村新司や山口百恵のような大先輩の前では、何も反論できないし。


barf:ライヴは?
鬼束:緊張するけど、嫌いじゃない。
barf:ライヴ、好きじゃないのかと思ってた。
鬼束:正直、あまり好きじゃない。
barf:ライヴでハイになったことってあった?
鬼束:〈武道館〉の時は超ハイで、ゾーンに入ってた。でも、やるまでが大変なんですよね。緊張とかで。

たしかにDVDを観れば武道館では超ハイだったことはよく分かる。たが、舞台に上がるまでの極度の緊張については、NHKのドキュメンタリーでも触れられていた。2時間、楽屋に一人でこもりっきりだったと。

barf:曲作りで快感は?
鬼束:できた時にはある。
barf:今作を70点と評価してたけど、70点ってことは、次への伸びしろがあるってことでしょ?
鬼束:うん。上に行けたらいいですね。

これが「Helter Skelter」の歌詞とリンクしてるということなのだろうか?活動休止中、上へ行ったり、下へ降りたり…。

barf:軽いタッチの曲も良くて。「Rainman」とか。
鬼束:でも、昔から私にあったものなんですよね。
barf:「Sweet Rosemary」はカントリーな感じで。
鬼束:元々、カントリーのイメージで作って。そしたら、小林さんがうまい具合にアレンジを付けてくれて。
barf:説明せずに?
鬼束:うん。

barf:この曲、なんかキャラ違うような。人格増えたんじゃ?
鬼束:うん……そうかも。例えば、「私がこの歌手だったら、こういう曲を書くな」って考えたりするから。簡単に言えば、「私がアヴリル・ラヴィーンだったら、こういう曲を書く」とか、「私がジェニファー・ロペスだったら、こういう曲を書く」とか。
barf:前って、そういうのあった?
鬼束:前はなかった。なんか、そんなふうに作っていったら、勝手に人格が増えていったのかも。
barf:他の曲だとある?
鬼束:覚えてない。あっ、「Bad Trip」はあるかな。ビリー・コーガン(笑)。

不勉強で申し訳ないが、ビリー・コーガンを知らなかった。1990年代に活躍したスマッシング・パンプキンズの中心人物らしい。
というより、僕がビリー・コーガンを知らないのは当然だ。僕は1990年代の洋楽をほぼ全く聴いていない。ビリー・コーガン自身が僕と同世代で、逆にビリー・コーガンがファンであると言っているニュー・オーダーなら、僕は知っている。
インタビューはまだもう少し残っているが、もう夜中の2時近いので、また次回。
やはりexciteミュージックのインタビューなどと比較すると、インタビュアーの山崎二郎氏のメタ・コミュニケーションのとりかたや、質問の内容はプロの仕事だと痛感する。それは鬼束ちひろの回答の内容の豊かさに、端的に現れている。
プロモーションとは言え、『BARFOUT!』以外の、同じような質問ばかりの、退屈極まりないインタビューを、何度も何度も受けなければならなかった、この頃の鬼束ちひろの心情は、察するに余りありますなぁ。
だから2009/10/28にリリースされた最新の『DOROTHY』は本人露出のプロモーション活動が一切なくなってしまったのかもしれない。
(つづく)