鬼束ちひろ『DOROTHY』レビュー(6)全体構成のまとめ

鬼束ちひろの2009/10/28発売の5thアルバム『DOROTHY』の、昨日の物語分析が長過ぎたので、今日は要約版を作る。

くりかえしになるが、あくまで僕の個人的な感想だ。
このアルバム『DOROTHY』は、鬼束ちひろの作詞・作曲のベースにある思想の、大きな転機になっている。
今までの鬼束ちひろの作詞・作曲の根っこには、「世界のすべては自分の心が作り出した幻にすぎない」という思想があったように思う。
でも、『DOROTHY』ではその思想が、「世界はどこまでも限りなく広がっており、自分の心はそれに向かって開かれている」という思想に、180度転換している。
かんたんに言えば、「世界は自分の心の中にある」という思想から、「自分の心は世界の中にある」という思想への転換だ。
アルバム『DOROTHY』はその転換の道のりを、一つのストーリーにしている。
その意味で『DOROTHY』はトータルコンセプト・アルバムだ。よく言われているような、「発売済みのシングルを寄せ集めた統一感のないアルバム」では決してない。
『DOROTHY』は、過去の鬼束ちひろを「夢見る少女DOROTHY」として描き、そこから考え方を転換していく道のりを「夢の世界からの目覚め」として描いている。
アルバムの最初で、少女DOROTHYを夢の世界へ導くのは、代名詞「he」で指示されている男性的なものの象徴である「白いクジラ」だ。
そしてアルバムの中で、少女DOROTHYが夢から覚める道のりは、4つのステップで描かれている。
1つめのステップは、「私」と、その「私」を物語るもう一人の「私」というふうに、「私」が2人に分裂する。これは、過去の「私」と現在の「私」が二つに分かれるということだ。(4曲目『ストーリーテラー』)
2つめのステップで、物語の語り手としての「私」が、語るのを止める。これは、過去の「私」を、現在の「私」が乗り超えることを意味する。(6曲目『I Pass By』)
3つめのステップで、「私」は、「私」自身と、さっき物語るのをやめた「私」の間の距離が失われて、同じ一人の「私」であることを改めて確認し、その「私」こそが帰るべき場所であることに気づく。(8曲目『Losing a distance』)
4つめのステップで、「私」は、2人に分裂していた、夢みる少女だった「私」と涙をうかべながらお別れする。このステップではじめて、「私」は完全に夢の世界から目覚める。「聴こえないメロディー」は、過去の「私」には聴こえていた、夢の世界の最後の名残りだ。(9曲目『ラストメロディー』)
完全に夢から目覚めた少女DOROTHYは、女性的なものや愛の象徴であるヴィーナス(『VENUS』)とともに、どこまでも繋がっていく世界と向き合う決意をする。
以上が、『DOROTHY』が示す、鬼束ちひろの思想の転換のストーリーだ。
言うまでもなく、少女DOROTHYが、いったん夢の世界に入り、そこから抜け出すというストーリーは、映画『オズの魔法使』のストーリーを借りている。
ただし『オズの魔法使』との決定的な違いは、『オズの魔法使』のドロシーが、自分の家に帰るのに対して、アルバム『DOROTHY』の鬼束ちひろは、過去の「私」と決別することで、無限に広がる世界と未来に向き合う点だ。
ここまでの話をまとめると、次のようになる。「男性的なもの」と「女性的なもの」という対立する考え方が出てくる点に注意してほしい。
■男性的なもの(クジラ)によって「私」は夢の中に導かれる。
 (『A WHITE WHALE IN MY QUIET DREAM』)
  ↓
■夢の語り手としての「私」と、語られる「私」が分裂する
 (『ストーリーテラー』)
  ↓
■語り手の「私」が夢を語るのを止め、「私」はそれを
 過去のものとしてやり過ごす(『I Pass By』)
  ↓
■語り手だった「私」と語られていた「私」が再び重なる
 (『Losing a distance』)
  ↓
■夢を物語る「私」と語られる「私」に分裂していた頃の
 過去のなつかしい「私」と悲しい別れをする。
 (『ラストメロディー』)
  ↓
■女性的なものによって「私」はどこへでも繋がる世界に向き合う
 (『VENUS』)
そして、アルバム『DOROTHY』は、その物語を整理して語るために、歌詞カードの扉にある「The Golden Flame(黄金の炎)」と「The Metaphysical Scream(形而上学的な叫び)」という2つの軸を使っている。
かんたんに言えば、「情念」と「理性」の2つの軸だ。
「情念」は、自分の意思と無関係に巻き込まれてしまうような、受け身の感情をあらわし、「理性」は、自分の意思で創り出す能動的な行動(叫び)をあらわす。
2曲目『陽炎』は「情念」の軸、3曲目『X』は「理性」の軸を、アルバムの最初に提示するために、この位置に収録さている。
では、その他の曲が、アルバム全体の中で、どんな特別な意味を持っているか見てみよう。
5曲目『STEAL THIS HEART』は、まだ夢見る少女であるDOROTHYを、「情念」の軸で表現するために、あえて、ボーカル・エフェクトを含む、うすっぺらいエレクトロ・ロックの形式をとっている。
7曲目『帰り路をなくして』は、映画『オズの魔法使』のドロシーは、夢の世界から家への帰り路を見つけることができたが、このアルバムの「私」には、それがないことを示している。
このアルバムの「私」は、夢から覚めた後、家へ帰るのではなく、「私」自身が帰るべき場所であることに気づくのだ。
10曲目『蛍』は、歌詞の最初の「時間よ止まれ」という言葉からも分かるように、このアルバム全体の、時間についての考え方を暗示している。
それは、過ぎ去った時間(過去)と、まだ来ぬ時間(未来)の中間にある接点は、「一瞬」であると同時に「永遠」である、という考え方だ。
『蛍』が10曲目に置かれているのにも理由がある。
過去の名残りとして鳴り響く聴こえないメロディー(『ラストメロディー』)と決別した後、限りない未来に向かっていく「私」(『VENUS』)は、その過去と未来の間で、儚い一瞬にたたずむからだ。
過去と未来の間にある現在という瞬間は、一瞬で流れ去ってしまう、とても儚いものだ。
と同時に、過去と未来の間にたたずんで、舞い上がる蛍に、どこへでも繋がる世界を予感している「私」にとって、時間はまるで永遠に止まったかのように感じられる。
その現在という一瞬の時間の永遠性を語る位置は、この10曲目以外にありえないだろう。
最後に、すべてを一つの流れにまとめてみよう。アルバム『DOROTHY』が見事な構成をもっていることが、おわかりいただけると思う。
■男性的なもの(クジラ)によって「私」は夢の中に導かれる。
 (『A WHITE WHALE IN MY QUIET DREAM』)
  ↓
■情念の軸の提示(『陽炎』)
  ↓
■理性の軸の提示(『X』)
  ↓
■夢の語り手としての「私」と、語られる「私」が分裂する。
 (『ストーリーテラー』)
  ↓
■まだ夢の世界にいる少女である「私」の情念が語られる。
 (『STEAL THIS HEART』)
  ↓
■語り手の「私」が夢を語るのを止め、「私」はそれを
 過去のものとしてやり過ごす。(『I Pass By』)
  ↓
■「私」は夢の世界から帰る路がないことの提示
 (『帰り路をなくして』)
  ↓
■語り手だった「私」と語られていた「私」が
 距離を失って再び重なり、その「私」こそが
 帰るべき場所だと気づく。
 (『Losing a distance』)
  ↓
■夢を物語る「私」と語られる「私」に分裂していた頃の
 過去のなつかしい「私」と悲しい別れをする。
 (『ラストメロディー』)
  ↓
■決別した過去と、来るべき未来の間にある
 永遠の一瞬としての現在に立ち止まる(『蛍』)
  ↓
■女性的なものによって「私」はどこへでも繋がる世界に向き合う
 (『VENUS』)
これが僕の考える、トータルコンセプト・アルバムとしての『DOROTHY』の全体像だ。以上、これで『DOROTHY』については本当におしまい。
※この鬼束ちひろのアルバム『DOROTHY』のレビューは、以下のように全6回の連載になっています。ぜひ通してお読みください。
「鬼束ちひろ『DOROTHY』レビュー(1)その形而上学的構想について」
「鬼束ちひろ『DOROTHY』レビュー(2)アレンジの劇的な変化」
「鬼束ちひろ『DOROTHY』レビュー(3)クレジットを熟読する」
「鬼束ちひろ『DOROTHY』レビュー(4)物語分析・前半」
「鬼束ちひろ『DOROTHY』レビュー(5)物語分析・後半」
「鬼束ちひろ『DOROTHY』レビュー(6)全体構成のまとめ」