柴田淳『ゴーストライター』レビュー(1)天才的メロディー

柴田淳『ゴーストライター』(2009/11/04発売の7thアルバム)のレビューをしてみたい。

※なお下記のレビューの続きはこちら
「柴田淳7thアルバム『ゴーストライター』レビュー(2)歌詞と性差」
「柴田淳7thアルバム『ゴーストライター』レビュー(3)不可能の果てに」
最初に書いておくと、僕は柴田淳のファンクラブ「蠍一座龍世柴田組」の第一期組員であり、すでに来年のツアーチケットを予約購入済みの、彼女のファンである。
中島美嘉のファンクラブにさえ入っていない僕が、柴田淳のファンクラブには入っているのだ。
この点をお忘れなく。
24ページの歌詞カード(ブックレット)の扉の言葉には次のようにある。
「2009年の始め、/私は出口の見えないトンネルで/迷子になっていた。/小さくうずくまって、/体はまるで、/半分消えかかった幽霊のようだった。/誰か助けて…。/ふと見上げた空には、/白龍がいた。」
公式サイトの日記や、モバゲータウンの日記からも、このアルバム制作に入ったころも、制作中も、柴田淳がかなり悪い精神状態だったことは分かっていた。
なので、どれほど陰惨なアルバムになっているだろうか、と期待して聴いた。
結果、一切の個人的な苦悩を感じさせない、ウェルメイドな、いかにも柴田淳らしい美しいメロディーがたっぷり詰まった、透明感のあるアルバムだった。
いったい扉の言葉にある、救いを求めるほどの苦悩や、引退を考えたほどの絶望は、どこにあるのか?と、本人に直接聞きたいぐらい、あらゆるネガティブな要素がきれいにろ過された作品になっている。
陰惨さの期待は裏切られたが、美しさの期待は応えられた。
また、柴田淳は今回のアルバムで、ロックをやってみた、と書いていたが、ロックは1曲もなかった。
たぶん彼女は1曲目の「救世主」がロックだと言いたいのだろうが、これはディストーション・ギターをアレンジに使った、美しいバラードである。
演歌でも、たまに音の歪んだエレキギターをアレンジに使うが、それでも演歌は演歌であるのと同じように、「救世主」という曲も、このアルバムでいえば「蝶」、過去の曲でいえば「紅蓮の月」と同系列の、柴田淳らしいマイナーコードの情念系バラード以外の何物でもない。
正統な意味でのロックには、リフとブルース・スケールが必要だが、この曲には、そのどちらもない。
サビの「現れては消える」という短いフレーズのなかに、2回も減4度が出て来るが、このブルース・スケールの泥臭さとはほど遠い、洗練されたメロディーは、断じてロックではない。
2曲目の「透明光速で会いに行く」は、文字どおりカラッと晴れた初夏の午前に、窓を開けて東名高速を飛ばしながら聞きたくなる爽快な曲。アレンジを含め、きわめて完成度の高い、筒美京平も顔負けの王道ポップスだ。
3曲目の「Love Letter」については、シングルが先行発売されているが、ボーカルはシングルとは別テイクで、アルバムの方が力強く、切実に胸に迫ってくる。
8分近い時間を全く感じさせないのは、アレンジがピアノ、ストリングスだけでなく、ホルン、フルート、ハープまで入った、非常に贅沢な構成になっているせいもあるだろう。
柴田淳の透明な声に、ホルンの旋律がからんでくる部分は、鳥肌もの。ただただうっとりと聴き入ってしまう。
4曲目は「うちうのほうそく」。タイトルからしてお気楽な感じ。ウクレレっぽいアレンジのマンドリンを主体とするバッキングで、4ビートの曲。
だからこの曲のどこに苦悩があるんだ?とっても楽しそうじゃないか。とっても幸せそうじゃないか。踊りだしたくなるほど。
5曲目の「蝶」は、先ほども書いたが、過去の曲でいえば「紅蓮の月」や「椿」の系列にある、いかにも柴田淳らしいマイナーコードの情念系バラード。
東海テレビ制作のお昼1時半からの連続ドラマの主題歌にぴったりな曲。
やはりメロディーがたまらなく美しいので、柴田淳のこの種の曲って、覚えて歌うと気持ちいいんだよなぁ。
6曲目は短い打ち込みインストで「雫」という曲。クレジットに「Programming: Jun Shibata」とあるので、たぶん柴田淳自身が、初めて打ち込みをやってみました、的な曲なのだろう。
音色はオルゴールのみ。失礼ながら、NHKラジオ第1放送の深夜、放送終了時にかかる曲を思い出してしまった。
(ちゃんとYouTubeにアップしてくれている人がいた!ここをクリックすると聞ける
昨年のアルバム『親愛なる君へ』にも同様に、短いインスト曲「38.0℃」というのが、アルバムの真ん中に収録されている。
こちらは柴田淳自身の演奏するアコースティック・ピアノだが、個人的にバッハの「ゴールドベルク変奏曲」のアリアを想起させる、シンプルだが美しい対位法で素晴らしい。
それに比べると、この「雫」には、山手線の発車音のようでもあり、やや不満。やはり生ピアノの方が良かったような…。
7曲目の「雨」なのだが、これはメジャー・コードで、ロック・テイストのバラード。あくまでロック・テイストであって、やはり、リフもブルーススケールもないので、ロックではない。
ただ、この「雨」のクレジットにある「Guitar: Susumu Nishikawa」について、出来ることならスタッフの皆さんに確認したいことがある。
この「Susumu Nishikawa」とは、まさかあの西川進のことではないでしょうね?ということだ。
そう、まだレビューが途中になっている鬼束ちひろのニューアルバム『DOROTHY』で、凶器的なエレキギターを聞かせている西川進氏だ。
もしそうだとしたら、残念ながらこの曲のエレキギターが西川進である必要性は全くなかったと言っていい。
ただ、絶妙にマイナーコードが散りばめられたメロディーラインは、やはり佳品。
何度も書くが、ウェルメイドでバランスのとれた王道バラードにかけては、柴田淳のソング・ライティングは抜群だ。何たって、もしこの西川進が、本当にあの西川進なら、西川進が西川進でなくなってしまうくらいなのだから。
8曲目の「宿り木」は、ピアノ伴奏主体の静かなバラードだが、かなり特殊な曲。
イントロからして、ピアノのペダルづかいが奇妙で、その背後からアンビエントな音がひっそり聞こえて来る。雷鳴?とキラキラした音だが、クレジットに「Programming」がないので不明。
で、特殊な曲と書いたのは、柴田淳の曲にしては、珍しく予測不能な転調があるからだ。
Aメロ、BメロはEbマイナー。そしてコードがサビの直前でそのV7(Bb7)になるので、当然、流れ的にはサビはEbmで始まると思ったら、いきなりCメジャーだ。
メロディーの流れからしても、BbからEというありえないつながり。こんなのありなのか?と、慌てて手元にあるポピュラー・コード理論の教科書をめくってみる。
EbmはメジャーコードでいえばGb。楽譜上では♭の数がいちばん多くなる調だ。
そしてCメジャーはご存知のように♭や♯が一つも付かない。
つまり、柴田淳は、完全5度ずつ上がっていく、または下がっていく、近親調の考え方からすると、Cメジャーから最も遠いGbの、しかもマイナーであるEbマイナーから、Cメジャーへ転調するという、とんでもない離れ業をやってのけているわけだ。
間奏は、いったんCマイナーへ転調した後、Ebマイナーにもどる。CマイナーはメジャーでいえばEbで、近親調の考え方からすると、ちょうどCメジャーとGbメジャーの真ん中にある。
おそらく柴田淳は、このコード進行も「計算」している。
「宿り木」については、この転調によるサビのメロディーの輝きが、シンプルなアレンジにもかかわらずドラマティックなので、これ以上言うべきことはない。
柴田淳のソング・ライティングの才能が、ただものではないと思わずうなってしまう一曲だ。
9曲目の「君にしかわからない歌」は、一転してメジャーのアップテンポな曲。これもメロディーの美しさが何とも言えない。
サビも単純なリフレインではなく、きらめくようなファルセットへ駆け上がっていくボーカルは、柴田淳の醍醐味。
最後10曲目の「幸福な人生」は、ピアノ伴奏のみでじっくりと聞かせる、美しいバラード。
「Love Letter」の豪華絢爛なアレンジと正反対だが、それでも柴田淳の書くメロディーとボーカルは、ちゃんと僕らの胸に響く。
(だから「Love Letter」のハープのグリッサンドは、僕にとっては少しやり過ぎのように聞こえた)
静かな余韻を残して終わるCメジャーのこのバラードは、『ゴーストライター』の終曲にふさわしい。
以上が、数回聴いた限りでの柴田淳のニューアルバム『ゴーストライター』のレビューだ。
えっ?歌詞については触れないの?
はい。柴田淳の書く歌詞には、個人的にあまり関心がありません。
何故なら、柴田淳の曲は、メロディーと彼女自身の声さえあれば、アレンジがどうあろうと、歌詞の中身がどうあろうと、完全に成立してしまうからだ。
冒頭にも書いたように、彼女の苦悩は、この『ゴーストライター』から微塵も感じとることができないほど、音楽のかたちで見事に昇華されている。
ということは、例えば鬼束ちひろのような人と違って、柴田淳は個人的な感情を、自分の作る曲や詞に叩きつけるタイプのシンガーソング・ライターではないのだ。
もし柴田淳がそういうタイプのシンガーソング・ライターなら、「うちうのほうそく」などというお気楽な曲や歌詞を書けるはずがない。
柴田淳の紡ぎ出すメロディーは、柴田淳の個人的な感情や実存とは全く別のところにあり、それでもなお、そのメロディーが極めて美しいことが、柴田淳の柴田淳たるゆえんだと思う。
下手に解釈の余地を与えてしまう歌詞などあえて無視して、柴田淳の紡ぎ出すメロディーと、そのボーカルだけを聴くことでも、この『ゴーストライター』は完全に一つの作品として成立している。
(つづく)