ツイッターをめぐるバカ騒ぎに既視感

ツイッターの何がいったい革新的なのか、まったく分からない。1日にブログを数十回更新する人がいたら、それはすでにtwitterだろう。
ITProの記者が「Twitterの便利さと、オープンであること」という記事を書いている。
だが、情報収集を口実に、会社で堂々とtwitterのフォローができるのは、出版社ならでは。
発信する側だって、日常の些細な出来事を、日中に延々とtwitterでつぶやけるのは、きわめて限られた職種だ。
モバイル環境でtwitterを利用するといっても、国内の携帯電話なら、すでにmixiやモバゲーやGREEなど、先行のSNS業者が1,000万単位のユーザーを獲得済み。
twitterは、まだ国内では100万ユーザーにさえ届かない。日本のケータイ文化の世界では、マニアのおもちゃの域を超えていないし、これからも超えないだろう。
こんな状況で、「twitterをフォローしていれば、初対面でもいきなり本題に入れる」など、上述のITProの記者が書いているtwitterの利点を享受できるのは、ごく限られた人たちに過ぎない。
まして、人身事故で特定の電車路線が使えなくなったとき、他のどの路線がすいていそうとか、そんなtwitterのつぶやき情報は、首都圏に勤務する会社員にしか当てはまらない。
東京中心主義を相対化できないような人間が、日経新聞子会社の記者にならないで欲しい。
他方のmixiやモバゲーやGREEのユーザーは、地方の携帯電話ユーザーも獲得している。
mixiやモバゲーやGREEが「国産」サービスで、良くも悪くも日本的なコミュニケーションの文脈に依存することで、利用者を獲得しているのに対し、twitterは、所詮、米国のものだ。
日本では開放的ななコミュニケーション基盤を作ったって、遅かれ早かれ、閉じられた島宇宙に細分化する。
そして、それぞれの島宇宙の中でも同調圧力がはたらき、「真の鬼束ちひろファンとは?」などといった不毛な議論が始まる。
坂本龍一、オバマ大統領、ホリエモンが使っていることが、売りになるかのような言説がネットに流布している時点で、そうとうイタイ。
「米国発なら何でも良い」という名誉白人的な臭いがぷんぷんする。
新しモノ好きの無反省なヒマ人には困ったものだ。
経済格差の進んだ日本社会で、twitterを使うことが「勝ち組」であるかのように喧伝する言説には、既視感をおぼえる。
梅田望夫的言説に対する反省から、誰も何も学んでいないのだろうか。
ネットは基本的にバカと暇人のものであって、そうでない人たちだけが、米国発の、ちょっと頭が良さそうで先進的なお遊びであるtwitterに喰い付いている。
それだけのことだ。下らない。実に、下らない。