勝間和代は自分を疑う能力の欠如した人間である

勝間和代って、どうしてあんなに常に自信たっぷりで、自分が無謬であるかのような発言をし続けることができるのだろうか。
プライベートの生活での苦労は理解できるけれど、同じような境遇でも、人生の成功者と失敗者が別れるのは、必ずしも本人の努力だけではなく、偶然性に左右される部分も大きいはず。
それを、あたかも全て自分の努力、自分の戦略、自分の改心の成果であるかのような、ものすごく素朴な主体主義、自由主義的言説を、マスコミで臆面もなくふりまいて、聞いているこちらが恥ずかしくなってくる。
おそらく彼女自身、30年後に自分の発言を振り返れば、その浅はかさに愕然とするだろう。
体調が悪くて休暇をとった日、『徹子の部屋』に出演していた勝間和代をたまたま見かけた。
恐ろしかったのは、語っている内容は、過去の自分の過ちを反省し、生まれ変わった自分自身がいかに幸福な人生を送っているか、ということなのに、本人の顔はこわばったままで、まったく笑わないのだ。
マシンガンのように、まったく余裕もなく、話の「間」というものもなく、能面のように無表情のまま自分のサクセス・ストーリーをしゃべりう続ける勝間和代の姿には、気味悪ささえ感じた。
デカルト曰く、哲学はまず疑うことから始まる。
フッサール曰く、考えるということは、いったん全てを括弧に入れることから始まる。
おそらく勝間和代は、現時点の自分の思想から、いったん距離をおいて考え直してみる、疑ってみる、括弧に入れてみるという能力が、完全に欠如している。
そういう意味では、勝間和代と、大殺界で有名な某女性占い師の思考方式に、本質的な差異はない。
自分自身を疑うことを知らないという意味で。