システムとしての孤独と不安:鬼束ちひろ


Yahoo!オークションで『ROCKIN’ON JAPAN』2002年2月号の鬼束ちひろ20,000字インタビューを買った。
晴海の新築タワーマンションの一室で撮影されたらしい、15ページにわたる彼女の写真は、肩のところがリボン結びになっている、妙にかわいい淡いピンクのタンクトップと、不機嫌な表情のアンバランスさが最高(1枚だけ笑顔あり)。
それはどうでもいいとして、インタビューの中でハッとさせられた部分があった。
インタビュアーの柴那典の「鬼束さんの表現の中心にね、僕、喪失感というものがすごくあると思うんです。孤独とか、寂寞とか、そういうの全部含めた上での」という質問に対する、彼女の回答だ。
このインタビューの前半を読むと、鬼束ちひろが宮崎県の漁村のごく普通の家庭に育ち、三人兄弟の長女として、ひいおばあちゃんや、とりわけ母親の深い愛情に育てられたことがわかる。
高校時代にジュエルを聴き、ミュージシャンとしてのキャリアに踏み出すまでの経歴に、両親の離婚や、陰湿ないじめといった、深刻なトラウマはまったくない。
にもかかわらず、彼女はこう答えている。
「培ったっていうか、ほんと、生まれてきてからずっとそういう気がする。子供の頃とかは気づいてなかったけど。中学時代から薄々感じてたし。なんか違うって。すごく淋しいとか、すごい孤独っていうのを」(p.048)
そして、僕がこのインタビューで、いちばん驚いたフレーズが、彼女の口から出て来ている。
「今になってやっと、これはあたしのシステムなんだろうなと思うんです。それがなくなったら歌も歌えなくなるし、書けなくなるし。もうあたしと、孤独とか不安は表裏一体で、取れることはない気がするんです」(p.049)
システムとしての孤独と不安。さらにこの「システム」という言葉の意味を、鬼束ちひろは敷衍している。
「だから変な話、トラウマとかがあれば、そういうのを自分の中で修復すれば、それはなくなる気がするんですよ。でも、あたしはそんなのがないから。物心ついてない時はそれに気づかなかっただけで、もうずっとついてきてるから。たぶん修復しようがないと思うんです。システムだから」(p.049)
これは人間の本質的な孤独や不安に対する、素晴らしい定義だと、正直、感動した。
何かの原因があって、その結果として孤独や不安があるなら、原因を取り除くことで孤独や不安は解決される。
そういう「始まり」と「終わり」のある、因果論的な孤独観や不安観は、自分には当てはまらないことを、鬼束ちひろはこのインタビューを受けた21歳のころに既に自覚していたのだ。
システムとしての孤独や不安は、これと指させる原因(始まり)と結果(終わり)がなく、孤独が孤独自身を、不安が不安自身を、自律的に維持している。
インタビュアーの柴氏は、鬼束ちひろが「自分で自分をコントロールするのがすごい大変だし」と言うのに対して、「僕は話を聞いてて結構バランス感覚いいなあ(笑)」と答えている。
孤独が孤独へ、不安が不安へとつながっていくシステムは、極端な自己愛と自己嫌悪の間を振動しながらも、システム全体としては一定の状態を保つことができる。
特定のトラウマ体験のような「特異点」が存在せず、システム内部で感情どうしのコミュニケーションが絶えず循環して、流れ続けているからだ。
そしてその孤独と不安のシステムと、そのシステム(鬼束ちひろ)をとりかこむ環境との相互作用として、歌がある。
歌は環境から観察したときの、鬼束ちひろというシステムの表出なのだ。
もしこれが正しいとすると、2004年頃に彼女がオーバードースで自殺未遂を図ったのは、明らかにこのシステムの変質を示している。
自律的な孤独と不安のシステムと、それをとりかこむ環境との相互作用に、歌ではない行為が起こったからだ。
それはおそらく、鬼束ちひろというシステムと、環境との、両方の変化のせいで、システムと環境が「歌」だけで接触面を維持することができなくなったためだろう。
しかし、幸い、鬼束ちひろという孤独と不安のシステムは、少しだけ内部の孤独から孤独へ、不安から不安へのコミュニケーションを変質させることで、環境との間に新たな「歌」の接触面を取り戻すことができた。
それが2007年の『everyhome』あたりからの、鬼束ちひろに違いない。
それにしても、21歳の鬼束ちひろが、特定の原因の存在しない孤独や不安を、自ら「システム」と名指していたとは。
やっぱり鬼束ちひろは「天才」だ。