「覚せい剤反対!」は単なるきれいごと

失業率が1953年以来過去最悪となったらしい。
もはや「会社」という場所は、昔のように生活のよりどころではなくなっている。
正規雇用であれ非正規雇用であれ、いったん仕事を失えば二度と同じ生活水準にもどれないということが、普通になってしまった。
おそらく今年度の自殺者も、雇用悪化に比例して増えていることだろう。
たとえば若者に覚せい剤や違法薬物が蔓延していることについて、政府やマスコミはきれいごとしか言わない。
しかし、これらの薬物は、若者たちの絶望の表現だ。まともな仕事があったり、将来に希望があったりする若者が、どうして薬物に手を出す必要があるだろうか?
人間がかんたんに逃げ場のない絶望に追い込まれ、誰も手を差し伸べない、何のセーフティーネットもない。
そういう薄っぺらで、身もフタもない社会を作ったのは、端的にいって1980年代後半以降の自民党の、誤った新自由主義政治のせいだ。
それを改めるのに、今回の衆院選挙では、まず、最低限のこととして、日本で二大政党が交代で政権をつとめる素地をつくることが必要ではないか。
それさえできないなら、以前からここに書いているように、いっそのこと積極的な尊厳死を合法化するくらいのことをやったらどうか。
薬物に体をむしばまれたり、生活苦に追い詰められて首を吊ったり、誰にも知られることなく孤独死するくらいなら、より「人間らしい死に方」を選択できるようにすることも、成熟を通り越した先進国の社会では、遅かれ早かれ、いつかは避けられないと思うのだが。
カート・ヴォネガットJrの「自殺パーラー」は、決しておとぎ話ではないということだ。