削除された柴田淳の日記と、柴田淳の音楽性分析

書くのをやめようかと思ったけれど、本人が原文を削除してしまったので、やっぱり書こう。
柴田淳さんのオフィシャルサイトの日記は、モバゲー日記とあわせて、ほぼ毎日読んでいる。
彼女の作詞・作曲する作品は大好だけど、完全に時代遅れの「男らしさ」「女らしさ」観はどうかと思う。
たとえば2009/08/17付けの日記ではマンガ『ときめきトゥナイト』の真壁俊という登場人物が、彼女の男性の理想像を体現していると書いている。(※リンクはそのままにしておくが、この日記はその後削除されてしまった)
この日記の中には、以下のような言葉が見つかる。
「最近は、お前女かよ!?って言うような男が増えてて、萎える」
「最近巷で、『草食系』というカテゴリを作ってもらえて、
それに属することで、ホッとしないでほしい。
それが普通なんだって思わないでほしい」
「しばじゅんは、当たって砕けろ!的な、
いつも熱くて、潔さのある男が好きです」
これほど保守的な「男らしさ」観って、団塊の世代の女性でさえ、単なる幻想だということが、常識になっているんじゃないだろうか。(とくに現実の結婚生活を通じて)
もっとも、柴田淳がこういう時代錯誤の「男らしさ」観にしがみついているからこそ、彼女の独特な世界があるのだけれど。
ここで、男女のJ-POPアーティストを「男らしさ」「女らしさ」といった文化的性差の観点から、何の根拠もなく勝手に分析してみる。
男女にかかわらず、「ポジティブ」/「ネガティブ」軸で分類できる。
「ポジティブ」は、外向的で、楽観的で、集団行動派。対して「ネガティブ」は、内向的で、悲観的で、自意識が強く、個人行動派というくらいに理解してもらえればいい。
僕自身はもちろん「ネガティブ」系の音楽が好みだ。
男性アーティストは、「ポジティブ」/「ネガティブ」軸に加えて、「肉食系」/「草食系」軸で分析できそうだ。
まず男性アーティストの「ポジティブ」系から。
柴田淳が男性に求める保守的な「男らしさ」を歌い上げる「ポジティブ」かつ「肉食系」アーティストには、長渕剛や矢沢永吉など、ここ数十年間変わらない一定の需要がある。
主に低所得層の家庭に生まれた、「成り上がりあこがれ型」の高卒・中卒男子だ。
逆に、桑田佳祐を典型とする「ナンパ男の純粋愛」の、「ポジティブ」かつ「草食系」にも一定の需要もある。
こちらは所得水準が比較的高い家庭の私立大学卒男子だ。オフ・コースやさだまさしも「草食男子」系に分類できるだろう。
ただ、「肉食系」にせよ「草食系」にせよ、「ポジティブ」系の男性アーティストが「女々しい男」を容認するメッセージを出すことは少ない。
あるとすれば「ネガティブ」系の男性アーティストだろう。
「ネガティブ」かつ「肉食系」の典型は、尾崎豊ではないか。彼のメッセージは「女々しい男」であることを自分に許せない結果としての、破滅的な男らしさだ。
「ネガティブ」かつ「草食系」の典型は、ビジュアル系だろう。この系列のアーティストはトランスジェンダーの傾向を持つことがあるが、それは「女々しい男」ではなく、もっぱら女性ファンに受容される。
次に女性アーティストだが、「ポジティブ」/「ネガティブ」軸と、「カッコイイ系」/「かわいい系」軸の2軸で分析できそうだ。
この分析軸ですでに分かるように、じつは女性アーティストでなければ「女々しい男」である男声リスナーを受け入れられない。
その理由は、「カッコイイ系」/「かわいい系」という対立軸が、文化的性差、つまり「男らしさ」「女らしさ」と直接関係ないからだ。
女性アーティストにおける「カッコイイ系」は、外見のことではなく、ポリシーを持って生きるという精神的な態度のことだ。
「かわいい系」はその逆で、ポリシーのなさ、世の中の価値観や、恋人の言うことや、世間の流行を受け入れる素直さを意味する。
なので「カッコイイ系」女性アーティストは、「男らしく・女らしくある以前に自分らしくあるべきだ」という、文化的性差に批判的なファンを受け入れる。たとえば僕のような...。
「ポジティブ」で「カッコイイ系」の女性アーティストは、浜崎あゆみ、中島美嘉などだろう。「ネガティブ」で「カッコイイ系」は、椎名林檎が典型だろう。中島みゆきもこの部類かもしれない。
「ポジティブ」で「かわいい系」の女性アーティストはいくらでもいる。そして「ネガティブ」で「かわいい系」の女性アーティストに、たぶん、柴田淳が入る。他には、岡村孝子など。
僕が中島美嘉のファンであるのは、中島美嘉を女性目線で「カッコイイ」と思えるからだ。
そして僕が柴田淳のファンにもなりえるのは、柴田淳の性別を超えた内向性や悲観性に感情移入できるからだ。
柴田淳の歌詞の世界に感情移入できる男性ファンというのは、おそらく柴田淳がいちばん嫌うタイプの男、つまり伝統的な「男らしさ」という価値に否定的だったり、批判的だったりする「草食系」の男がほとんどだと思う。
だって、長淵剛ファンの男が、同時に柴田淳ファンだなんて、明らかに無理があるだろう。
また、柴田淳の女性ファンは、おそらく、ある時は「ポジティブ」で「カッコイイ系」、ある時は「ネガティブ」で「かわいい系」という風に、TPOに応じて聴く音楽をうまく使い分けているに違いない。
柴田淳が理想とする男性が、今の日本に仮に実在したとして、柴田淳ファンの女性と出逢って恋に落ちたとしたら、おそらく、二度と柴田淳の音楽が必要のないところへ、彼女を連れ出すだろう。
柴田淳の音楽性を、ちょっと意地悪に分析するとこうなる。”理想の男性が、自分の音楽性の存在理由を否定してくれることを、無意識のうちに願っている”という具合だ。
ただ、現実にはこんなことはありえない。
柴田淳のような理想を描いていた女性は特に、現実には、結婚して家庭をもてば、男性の「草食系」的側面を受け入れざるをえなくなる。
結婚しても永遠に「肉食系」であり続ける男性を、配偶者として許せる女性、例えばRIKACOのような女性を想像してほしいのだが、そういう女性が、柴田淳ファンであるはずがないからだ。
でも、柴田淳ファンの女性は、結婚してもおそらく柴田淳ファンでありつづける。ただし、柴田淳の世界を、なつかしい過去として葬り去る限りにおいて。
岡村孝子ファンの既婚女性は、おそらく、ほとんどこのパターンに当てはまるはずだ。昔は岡村孝子の歌にはげまされたよね、という感じで。
残念ながら、柴田淳は、僕のような「草食系」男子のファンを許容できなければ、男性ファンをほぼ完全に失うことになる。
意地悪な分析で申し訳ない。
でも僕は柴田淳のバラードが大好きで、柴田淳に出逢わせてくれた中島美嘉には、いくら感謝してもしすぎることはない。