木村盛世著『厚生労働省崩壊』(講談社)を読んだ

木村盛世著『厚生労働省崩壊』(講談社)を読んだ。

著者がビデオニュース・ドットコムに出演し、厚労省の新型インフルエンザ対策が、いかにバカげているかを批判していたので、読んでみた。
著者は、現役の厚労省キャリア女性官僚で、シングルマザー。
米国留学からの帰国者で、日本組織の慣習を無視してバリバリ仕事をしたため、「出る杭は打たれる」式に転々と左遷されている。その経緯は、本書を読めばわかる。
パワハラ、セクハラの監督官庁でありながら、パワハラ、セクハラの横行する厚労省。自己保身しか考えない組織。聞きしに勝る腐敗ぶり。
こんな組織に、新型インフルエンザのパンデミック対策が、まともに打てるわけがない。
もっとも、その厚労省が出しているガイドラインにしたがって、「縮退業務」や「在宅勤務」が事業継続のためのパンデミック対策だと、信じ込んでいる民間企業も民間企業だが。
ただ、この種の官僚批判本を読むと、むなしさだけが残る。読めば読むほど、お役所の組織改革など不可能に思えてくるのだ。
というのは、厚労省が今のような「崩壊」した組織であるのは、日本社会を構成する一つの部分だからこそ、である。ある意味、厚労省のような組織は、日本社会の縮図なのだ。
民間企業だって、大なり小なり厚労省的なところがある。つきあい残業だったり、時間のかかる根回しが必要だったり。
筆者の木村盛世氏が、もし米国に残って働き続けていたら、米国社会に何の不満も抱かずに生活できていたか?そんなことはないだろう。いまの米国社会を理想郷だと思う日本人は、おそらく一人もいない。
以前からたびたび書いているが、この国民にして、この政府があり、この官僚たちがいて、こういう社会になっているのだ。
社会を一つの大きなシステムと考えれば、その一部分を取り出していくら批判しても、何の問題の解決にもならない。
例えば、こんな風に問題を立ててみればよい。
厚労省のお役人たちを、どのように動機づければ、組織の保身ではなく、国民の生命の保護を第一に行動するようになるか。
一つの答えは、自己保身ばかり考えているお役人は、辞めさせればいいということかもしれない。しかし、ある人間の動機が「純粋」か「不純」かなど、誰がどうやって判断できるのか。
それこそ、人事評価に新しい種類の恣意性を持ち込むきっかけになり、組織の中に新しい種類の「腐敗」を生み出す結果になりかねない。
たとえば、十年前くらいにはやった「成果主義」は、民間企業で組織改革をおこなう切り札と見られた。
しかし実際には、単にリストラの口実に使われたり、逆に社内の部署間のコミュニケーションを阻害したり、弊害が多かったため、結局、揺りもどしが起こった。
新型インフルエンザが強毒性になったとして、そして、今年の秋から来年にかけて流行したとして、日本で何人死ぬかわからない。
木村盛世氏が被害を最小限に食い止めるために、ある意味、ノブレス・オブリージュという自覚をもっていくら努力しても、日本が日本である限りは、日本人はその報いを自らうけるしかない。
僕は絶望しすぎだろうか?